サイトの引越し

  1. 2013/11/30(土) 16:03:18|
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DTIブログのサービスの停止に伴い、よそに移転するわけですが、何がどうなってのことなのか、ブログではなく、通常のホームページ形式になりました。

こちらです。
http://classicalmusic.iinaa.net/


ホームページ形式にしたのは、もともと記事の内容に日記的性格が皆無だし、ブログならではのTBやコメントのやりとりもごくごく限定的だった(それだけに、相手をしてくださった皆さん、ありがとうございました)から・・・というものです。
音盤の感想を淡々と列記しているだけの方が、むしろ"らしい"ような気がしまして。

上のサイトは、急ごしらえの未完成品です。
当面は、暇を見ての記事の移行作業に終始しそうです。

音盤以外の記事は、このまま廃棄になるかと思います。

むむむ・・・終了のお知らせが

  1. 2013/11/09(土) 20:15:01|
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このブログで利用しているDTIブログが、今年の12月17日でサービスを終了するとのこと。
広告表示が少なめで、気に入っていたのだけど。

もう5年使ってきたし、最近更新間隔があいていたけれど、ずっと続けるつもりだったので残念。

エリザベータ・ステファンスカ "ファンダンゴ"(バロック期のクラヴサン音楽集)

  1. 2013/08/25(日) 23:25:16|
  2. バロック(器楽)|
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2008年のセッション録音。

ダングルベール、フランソワ・クープラン、バルバトル、ソレールら、バロック期のクラヴサン(ハープシコード)のための音楽を集めたアルバム。

演奏するエリザベータ・ステファンスカは、ポーランド出身のハープシコード、フォルテピアノの奏者。



1曲目、ダングルベールの「スペインのフォリア」でまず軽い驚き。
ヴェルサイユ宮殿のクラヴサン奏者の作品、というイメージからかけ離れた、生々しくて、陰影の強い表情。
フォリアはイベリア半島起源の舞曲で、「狂気」「常軌を逸した」という語彙らしいのだが、そっち寄りの演奏ぶり。

アルバムのタイトルになっているソレールの「ファンダンゴ」がトリを飾っているけれど、もともと激しい音楽というイメージがあるから、こちらは期待通り。

どちらの曲の演奏からも、暗い情熱と語り口を感じる。リズムとか、アーティキュレーションとかの感覚が一味違う。



この演奏の個性が際立っているのは、むしろクープランとかバルバトルの楽曲の方か。
ここでも、ステファンスカは遠慮会釈無く、陰影を含んだ"熱"を振りまく。

面白いことは面白い。粗いわけではないから、ある意味エッジの効いた表現になっていて、取り澄ましたような演奏では感じ取れないような、彫りの深さと色数の多さを感じる。

まあしかし、17〜18世紀のフランスの宮廷で、こんな音楽が響き渡っていたとは考えにくい。そういう意味で、激しく好みは分かれそう。



なんにせよ、クラヴサン=ハープシコードという楽器から、濃い味を耳にするのは滅多にないことで、収録作品のイメージに止まらず、楽器に対するイメージまで揺るがされてしまった。

チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 ハフ / ヴァンスカ ミネソタ管弦楽団

  1. 2013/06/12(水) 13:42:09|
  2. チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番|
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2009年のライブ録音。盛大な拍手入り。
hyperion(ハイペリオン)レーベルの「ロマンティック・ピアノ・コンチェルト・シリーズ」の1つ。



端整に、鋭敏に、敏捷に、一点の曇りなく楽曲の成り立ちを明らかにするようなアプローチ。ごく真っ当な姿勢のようだけど、段違いの精巧な作りと超絶技巧が、この演奏を非凡なものとしている。
わかる人にはわかるというレベルではなくて、明晰であることが快感としてビンビン響いてくる。

指が回る回る、高速かつ精密に。音の粒子が、無重力の空間で秩序正しく高速運動を繰り広げる感じ。

端整な質の音楽ではあるけれど、整えるための抑制は感じられない。盛り上がる場面ではオーケストラと互角以上に響き渡る。
第3楽章の終盤あたりは、燦然とした強靭な打鍵で会場を圧倒する。



音の一つ一つが精密かつ整然とコントロールされているけれど、機械的に整えられている感じではなくて、端整な中に、横の流れの変化とか、音の重ね方のアイディアなどが仕込まれていて、曲調の変化を鋭敏に、余すところなく捉えている、と思う。

明晰なタッチ、重力から解き放たれたようなリズムなどなどにより、濃厚な情緒みたいなものは望めない。濃いとか薄いとかではなくて、気分とか雰囲気で聴衆をいい気持ちにしてやろう、という発想を感じない。
好き嫌いの分かれるポイントになるかもしれない。

もともと濃い作風の音楽の濃さを強調するように演奏されてしまうと、それ以外の要素が見えにくくなってしまう。
わたしはハフの演奏を聴いて、すっかり聴き古したつもりでいたこのピアノ強奏曲に、まだまだ楽しめる可能性があることを教えられた。
このピアノ協奏曲の凝りに凝られたところが、息苦しさを伴わないで、すんなりと流れ込んでくる。



ヴァンスカ指揮ミネソタ管弦楽団は、陰影や湿り気を感じさせないテイストに好みが分かれるかもだけど、好サポートだと思う。

明るい伸びやかな響きでピアノを包みこみながら、ピアノしっかりと際立たせてくれるし、オーケストラが目立つ場面では、ハフの音楽作りに見合うきめ細やかな表現。

これを聴いて、ヴァンスカらによるチャイコフスキー演奏に期待が高まる、ということはなかったけれど、ピアノの芸が細かいだけに、抑揚を弁えた伴奏はありがたい。

シベリウス 交響曲第6番 ネーメ・ヤルヴィ / エーテボリ交響楽団 (1983)

  1. 2013/05/05(日) 21:19:11|
  2. シベリウス 交響曲第6番|
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1983年のセッション録音。1回目の全集から。



シベリウスの第6交響曲には、構成はあるとしても、構成美みたいものは感じられない。シベリウスならではのイマジネーションの世界に酔う、というのが素直な楽しみ方のような気がする。

でも、交響曲として作曲されている以上、ときには楽曲の構成を見通すような演奏でも楽しみたい。

ネーメ・ヤルヴィの1回目の録音を聴いて、この交響曲の十全かつ洗練された演奏と感じたことはないけれど、明解なサウンドに見通しのよい造形を追及しながら、シベリウスっぽい繊細さ、柔軟さ、軽やかさ、寒色系の響きなどなどを兼ね備えた表現に、好感を覚える。



この演奏の明解さは、響きをブレンドさせず、それぞれのパートの輪郭をくっきりと聴かせることによる。アンサンブルそのものはときに粗かったりするけれど、とことんすっきりと仕上げている。そのように聴こえるのに、録音の影響は大きいかもだけど。

また、歯切れのよいリズムに即して造形している感じで、たとえば第一楽章では、フレーズの曲線美に凝ったり、タメを作ったりみたいなことをしない。イマジネーションの一つ一つに耽ることなく、その推移を快速で描き出す。この楽章の演奏時間は目立って短い。

明解で見通しがよいというのを通り越して、素っ気無く感じられるかもしれないし、ブレンドされた響きにシベリウスらしさを見出す聴き手には物足りないかもしれない。

しかし、寒色系のクリアな響き、軽やかなリズム、繊細感重視のアンサンブルなんかに、この作品らしさへの考慮は十分に感じられる。
あいまいさを払拭すれども、即物的な処理は見当たらない。



ここにこの交響曲のすべてがあるとは思わないけれど、シベリウスに惹かれはすれど、のめり込むほどではない、というわたしのこの作曲家との距離感には合っているかもしれない。

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