ブラームス 交響曲第1番 カラヤン / ベルリン・フィル (1963)

  1. 2011/12/07(水) 06:00:00|
  2. ブラームス 交響曲第1番|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0
1963年のセッション録音。 ディテールはもちろんのこと、空間の広がりや音の量感がよく捉えられている。60年代前半の録音をこれだけの音質で聴けるのはうれしい。



カラヤンは、わたしがこの交響曲に期待するほとんどの項目に目配りしている。
1960年代においてオーソドックスだったであろう作品像を踏まえ、全体の構成の点でも、個々の場面のデザインの点でも、奇をてらわず素直にやっていると思う。
とはいえ、最後の"決め"のところでは音響効果を優先している。独墺系の先輩たちから受け継いだ低音を支えとしたサウンドバランスとか、堂々として均整のとれた造形とか、ある種の基本事項をきっちり踏まえた上で、演奏コンセプトとして音響効果を追求している。



こういうのは、ジワジワと効いてくる。部分部分では偏った演奏には聴こえないけれど、いつのまにか独自の世界にはまり込んでいる。
そのサウンドイメージは、スケールが大きく量感豊か。そしてダイナミックレンジが広い。その一方、表面はなめらかかつ艶やか。迫力も活気もはあるけれど、硬い音、荒い音、濁った音、刺激的な音は排除されている。



音楽は音を使って感情とか心理状態を表現するもの、と考えるなら、上のようなアプローチはマイナスかもしれない。
ブラームスの精緻な書法を楽しもうとすると、グラマラスな鳴りっぶりとか量感による迫力が優先されるために、細やかな表情変化が塗りつぶされがち。

結局は、カラヤン+ベルリン・フィルの音の饗宴を楽しむ演奏ということに尽きそう。
各パートのサウンドがある程度の輪郭を保ちながらも、一体となって溢れだし、分厚く押し寄せてくる。その演奏効果は半端ではない。オーソドックスな作品像を保ちつつ、音響によるスペクタクルみたいなことをやっている。広いリスニングルームで大音量再生すれば楽しいかもしれない。

ブラームス 交響曲第1番 ベーム / ベルリン・フィル

  1. 2011/10/30(日) 16:00:00|
  2. ブラームス 交響曲第1番|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0
1959年のスタジオ録音。 きわめて良好なステレオ録音。精緻で精悍な演奏が鮮やかに捉えられている。



これ以上は考えにくいくらいに精密かつ緊密でありながら、すみずみにまで凛とした覇気がかよっている。コントロールする指揮者も、演奏するオーケストラも桁違い。味わいとかノリとか音響とかを云々する前に、演奏芸術の極致のようなアンサンブルにほれぼれとしてしまう。
その圧倒的な切れ味のよさで、ブラームスの書法の精細さや密度の濃さを白日のもとに顕す。この作曲家の力量を見せつけられる思いがする。
これだけでこの録音を聴く価値がある、と思う。最高レベルの技巧派指揮者ベームの実力が遺憾なく発揮されている、と感じる。



低音の土台の上で折り目正しいアンサンブルが展開されるところにドイツの伝統めいたものを感じるけれど、個々の線の動きは鮮鋭的なまでにシャープで軽快で流暢。その俊敏なことは、音の質量を感じさせないくらいだけど、鈍くも重くもないが十分に厚い低音と組み合わさって、手応えのあるサウンドになっている。
伝統的なものと現代的なものが独自の配分で調和していて、洗練された演奏様式だと思う。50年以上前の演奏に現代的という表現はそぐわないようだけど、今聴いてもハッとさせられるくらいに鮮やか。

軽快で俊敏な運動性が際立つ反面、陰影は乏しい。また、サウンドは均質化されていて、統一性は高いものの色彩感は乏しい。結果として、聴き手にとって、情緒を刺激されたり、想像力を刺激されたりする余地の乏しい演奏に仕上がっている。
それをこの演奏の欠点と言うことはできるけれど、そもそも演奏のコンセプトが別の方向を向いている。この演奏に関する限り、ディテールが情緒をにじませることはアンサンブルの緩みなのだ。ベームはブラームスの書法を濁りなく精確に、そして鮮烈に響かせることに専念している、と感じる。



とはいえ、原理主義・即物主義のような演奏ではない。その種の演奏につきまといがちな過激さ、過酷さは乏しい。構造とか書法をくっきりとさせることにはこだわるけれど、作品を解体するような手つきではなくて、そういう鳴らし方がベームの感性とか嗜好に合っているのだろう。

第二楽章における深い息遣いでの凛とした歌いっぷりにベームの歌心を感じるし、第三楽章では精緻で俊敏なアンサンブルが小気味良い快感をもたらしている。両端楽章は、あふれる覇気とめくるめくような音の連鎖・交錯が圧巻。
一聴して禁欲的と思えるくらいに研ぎ澄まされたアンサンブルが、実は感覚的な洗練と愉悦につながっている。

ブラームス 交響曲第1番 バーンスタイン / ウィーン・フィル

  1. 2011/10/23(日) 14:00:00|
  2. ブラームス 交響曲第1番|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0
1981年の録音。全集からの1枚。 ライブ録音となっているけれど、おそらくセッション録音に準ずる整った環境での録音。



ニュアンスたっぷりに歌わせるし、テンポは揺れるけれど、全体のフォルムを崩すような大げさな身振りは少ない(ないわけではない)。音楽を大きく息づかせながら、作品のフォルムとかテンポなんかは標準的で概ね安定している。また、響きの量感や厚みも必要十分。
自分の感性をすみずみにまで注入しているけれど、伝統的なブラームス像と円満に折り合っているように聴こえる。

オーケストラの影響はありそうだけど、ゴツゴツしたブラームスではない。柔軟に、しかし熱っぽくうねる感触。厚味とか力感とか推進力は事欠かないけれど、迫力や轟音で圧倒する素振りはない。



さすがのウィーン・フィルで、各パートは歌や音色は決まっている。そして、熱っぽい中でアンサンブルの応酬が伝わってくる。
気持ちは込められている感じだけど、いろんな演奏をとっかえひっかえした後で聴くと、アンサンブルの親密さや彫りの深さみたいなところで、大味に感じられるかもしれない。わたしはそのように感じた。

おそらくバーンスタインは、個々の線が親密に連動して1つの流れや息遣いを生み出す、みたいな発想で鳴らしていない。各パートを活き活きと響かせて、それらを揃えてバランスさせる、くらいの意識で演奏しているのではないだろうか。
一概にそれが悪いとは言えないが、ブラームスの精妙なテクスチュアを描き出すのには向いていない、と思う。
その真偽は別にして、バーンスタインは、巨匠クラスの指揮者にしては、サウンドをコントロールする技量が冴えていないように聴こえる。ニュアンス豊かな歌いっぷりにハッとさせられることはあっても、その音響効果に魅了されることはないし(個々のパートの音色とは別の観点で)、それどころか、サウンド面でメリハリの不足や濁りを感じることがある。

バーンスタインを語れるほど彼の演奏を聴いていないが、この演奏からは、彼が思うところの作品の魅力や作曲者への思いなんかを、自分の語彙でストレートに音にしているように聴こえる。気取らず構えず、聴き手に向けて胸襟を開いてくるような率直さ。
この限りでは、"技巧派"でないことがプラスに働いているかもしれない。

ブラームス 交響曲第1番 ベイヌム / アムステルダム・コンセルトヘボウ管

  1. 2011/10/15(土) 13:00:00|
  2. ブラームス 交響曲第1番|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0
1951年のスタジオ録音。 解像度はとても高いが、不自然に高いかも。古いモノラル録音なりに、オーディオ的な音作りと感じられる。
同じコンビで1958年に再録音されている。そちらはステレオ録音。



すさまじく激しい演奏。曲調ゆえに激しい演奏は珍しくないけれど、この演奏は頭ひとつ抜けている、と思う。計算された激しさというより、音楽が鉄骨むき出しでガシガシギシギシと軋み音を立てながら突き進んでいくような感じ。アクセントはきついし、フレージングは骨っぽい。
テンポは速めで、造形は引き締まっている。スマートにではなく、武骨に引き締まっている。
弦の乾いた激しい音が、演奏のキャラクターを決めているようだ。木管の響きにはしっとり感があるし、金管がけたたましく突出することはない。

アンサンブルの個々の動きは明解でコントロールされているけれど、一体となって連動していかない。そのために瞬間瞬間のサウンドイメージがビシッと決まらないし、微妙な息遣いやオーケストラ全体がうねる感覚は乏しい。ベイヌムはもともとむき出しのような感触を狙っているようだけど、それだけではなさそう。

近い時期にエーリッヒ・クライバーがアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮した録音を聴いたときにも感じたことだが、当時のこのオーケストラは精度と馬力をすごいレベルで両立させていたようだ。 最近の演奏を知らないので、現在との比較はできないけれど・・・

ブラームス 交響曲第1番 ミュンシュ / パリ管弦楽団

  1. 2011/10/12(水) 06:00:00|
  2. ブラームス 交響曲第1番|
  3. トラックバック:0|
  4. コメント:0
1968年のスタジオ録音。 メジャー・レーベルのセッション録音にしては残念な音質。ホールに音が広がる雰囲気をとらえようとしているようなのだけど、音の抜けが鈍くて、ともすれば塊状に響きがち。



これは昔から有名な演奏。重厚激烈タイプと言えそう。ステレオ録音の時代にはいってからのセッション録音で、ここまで思い切りよくやっているのは珍しいのかもしれない。

個人的には、ブラームスの音楽で、音響の量感で攻めてくる演奏はしっくりとしない。量感で攻めるタイプの演奏は、迫力とスケールはすごいけれど、どうしてもテクスチュアは大雑把になる。ブラームスの凝った緻密な書法が、息苦しく濁って響いてしまう。
でもこの演奏以外に、フルトヴェングラーとかカラヤンとかも量感で攻めるタイプだけど、いずれも評判は良さそう。



第一楽章の序奏なんかは、お手本のように量感たっぷりで重々しく壮大。芝居がかっているけれど、すごく様(さま)になっている。その後も無茶をしない程度にノリノリ。
第一楽章はこのノリでも聴けてしまうけれど、第二楽章以降はブラームス緻密な書法を聴かせてほしい。

今回聴いてみて気がついたのは、量感型には違いないけれど、そのわりに息苦しくならず、音楽の見通しはいい。
パリ管弦楽団の低弦は厚いわりに重く鳴らない。高弦や木管の響きには清々しさがある。場面によっては強靭さ不足を感じるけれど・・・
それと、ミュンシュのフレージングはスムーズでしなやか。このあたりがフレンチなのだろうか?力んで演奏しているように聴こえるけれど、音楽は引きずらず、ひっかからず、タメ過ぎず、スムーズに流れている。好きなポイントかも。
ミュンシュのフレージングの旨味とオーケストラの清々しさを満喫できるのが第二、三楽章。特に第二楽章は叙情的な味わいと豊かな色彩が印象的。他の量感型アプローチと差別化できるポイントかも。

第四楽章は気合十分だけど、案外と力のゴリ押しはなくて、爽快な仕上がり。精密でも折り目正しくもないけれど、一音一画に抑揚は施されていて、それでいて体重移動はスムーズ。
陰影のある厚いサウンドのせいか陽性とはいいにくいけれど、ミュンシュのしなやかなフレージングによるのか深刻ぶらった空気にはならず、ノリよく駆け抜ける。

次のページ