マーラー 交響曲第8番 クーベリック / バイエルン放送交響楽団 他 (ライブ)

  1. 2011/08/13(土) 00:38:51|
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1970年のライブ録音。良好なステレオ録音。細部までよく聴き取れる。

スタジオ録音直前の生演奏で、会場も演奏の顔ぶれも同じらしい。あいにくスタジオ録音を聴いていないので、内容を比較できない。

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対位法的といわれるオーケストレーションの線の動きの一つ一つを、明解に鳴らし分け、それらが織りなす綾によって音楽を形作っている。単に細かい音がよく聴こえるだけでなく、音の連なりである線の1本1本が均等に近いバランスで浮かび上がり、織り上げられていく。

線の動きをくっきりと鳴らし分けるために、個々のパートは禁欲的なまでにコントロールされている。透明なサウンドという感じではないけれど、どのパートも色付けを感じさせない細身の響きで、動きは機敏かつしなやか。

独唱の声の輪郭が明瞭なのも、クーベリックの狙いの表れだろう。この交響曲でありがちな、音響の海の中で一所懸命に声を張り上げているという風情はない。独唱者たちはゆとりを持って歌唱し、声のアンサンブルを繰り広げている。そのぶん、演奏の密度が上がっている。

この作品でカオスの原因になりがちな合唱も、厳格にコントロールされていて、他のパートを威圧することはない。管弦楽と対等くらいのボリュームが維持されていて、一体となって緊密にアンサンブルを作っている。

音楽が最高潮に達したその瞬間でも、クーベリックの精緻なバランスは崩れない。各々の音の線はその輪郭を保ったままで、高揚している。
空前の大編成を誇るこの交響曲の生演奏において、この手腕は凄いのではないだろうか。

そして、全体によくコントロールされた演奏でありながら、作り物っぽさや堅苦しさを感じさせない。

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演奏のメイン・コンセプトが、マーラーの音楽的書法を精細に具現化するという生真面目さなので、ざっくばらんなサービス精神(突き抜けてパワフルであったり、うっとりするほどに甘やかであったり、華々しさでわくわくさせる、というような)は乏しいかもしれない。

が、淡々とあるいは堅苦しく演奏されているわけではなく、クーベリックの流儀の中で、感覚的な愉悦が演出されている。
しなやかで歯切れの良い推進力が全編に働いている。とかく威圧的になりがちな第一部は壮快な仕上がり。
第二部は、他と比べるとあっさり風味だが、盛り上がる部分では気迫を感じさせるし、しなやかで敏捷なアンサンブルは気持ちが良い。特に、複数の旋律線がときに俊敏に、ときにしなやかに舞いながら、呼応し合い連携するさまは、最大の聴きどころではないだろうか。

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作品理解の面でも演奏技術の面でも練られた演奏と思うのだけど、好み通り!とはいかない。

マーラーの対位法は、昔ながらの対位法、つまり多声が純然と独立性を保って進行するような対位法とは違う、と思う。マーラーの場合は、親しみやすいメロディ・ラインが基本にあって、それを限界まで修飾したり崩したりするための対位法的オーケストレーションではないだろうか。
そういう聴き方をすると、クーベリックのさばき方は古典的に過ぎるように感じられる。多声の線の1本1本をすっかり解きほぐしてしまうので、サウンドとしても音楽の表情としても妙にすっきりとしてしまう。マーラーの音楽でしばしば感じられる、仕組まれた過剰さ・不安定さ・混乱の妙味、とでもいうようなものを感じとりにくい。

クーベリックは各パートをすっきりと鳴らさせて、そのサウンドは無彩色で細身。
おかげで多声の線の動きは鮮明になっているけれど、サウンドの色彩感による官能は乏しくなっている。
また、第二部のフィナーレでは、必要十分の盛り上がりを聴かせるけれど、お行儀が良すぎることと、音楽の骨格までが細身に感じられる瞬間があって、我を忘れるほどの高揚はない、と感じた。実際に客席にいたら、違う風に感じたかもしれないが・・・

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わたしの印象としては、この交響曲、特に三分の二ほどを占める第二部の音楽は、いたって通俗的。人気指揮者でもあったマーラーが、聴衆を魅了し盛り上げるべく、腕によりをかけた演奏効果抜群の音楽、と思う。
そういう立場から聴くと、クーベリックのアプローチはきまじめで、上品すぎるかもしれない。

しかし、そのきまじめさとか品の良さがこの演奏の得がたい魅力でもある。一見自然体風の演奏だけど、聴くたびにクーベリックの匠の技を新たに発見する、という具合。
作品に対して一途にまじめで、表現としてよく練られていて、おまけに高い技量に裏打ちされている。とにかくこれは良い演奏だ、と思う。

マーラー 交響曲第8番 バーンスタイン / ウィーン・フィル 他

  1. 2011/08/07(日) 21:37:00|
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1975年のライブ録音。
2度目の交響曲全集録音を行っていたバーンスタインが急逝したため、ザルツブルク音楽祭の放送用録音が全集に流用されたとのこと。
全集の他の録音と比較して条件は見劣りしそうだが、これ単独で聴くぶんには、大きな不満を感じない。ライブの一体感が音として伝わってくる。

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熱気を感じさせる熱い演奏。管弦楽も歌唱陣も一音一音に力を込めていて、かつ一体として燃え上がっている。

必ずしも楽曲の推移に則した燃え方ではなくて、とにかく燃えている感じなので、第二部の序盤などはもうちょっと落ち着いてもいいような気がする。
でも、一途な入れ込み方に嫌な感じはしないし、メリハリがはっきりする点はいいかもしれない。第二部は長ったらしいから・・・

熱気を抜きにしてこの演奏を見渡してみると、かなり順当でバランスの良いアプローチ、と感じられる。
”熱さ”を売りにする演奏者の中には、”熱さ”を演奏様式の中に組み込んでしまう例があるけれど(過激なテンポとか、ダイナミックな表情付けとか、爆音とか・・・)、この演奏からそのような印象を受けない。
たとえば音楽的にも物理的にも圧倒的な第二部の終結部。指揮者としてはケレンの技を凝らしたくなる部分のようだけど、テンポもフレージングも整っているしオーケストラの鳴らし方に小細工なし。

無我夢中で燃え上がっているのではなくて、裏にしっかりとした計算とか演出意図があるのだろう。しかし、聴く限り、いい意味でも悪い意味でも作為的なデフォルメを感じない。それに好感するのか、物足りなく思うかはそれぞれだろうけれど。
ちなみに、わたしは好感した。

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わたしはバーンスタインの熱心な聴き手ではなく、限られた音源からの印象に過ぎないのだけど、巨匠と呼ばれる存在にしては、サウンドとかサウンドイメージの妙味に乏しい指揮者と感じている。
情熱・情念を優先するあまり演奏の肌理が粗くなる、という面もあるのだろうが、そういうこととは別に、微細な音を聴き分け、明快で魅力的なサウンドイメージを提示する資質に劣るのではないか(しつこいが、巨匠クラスの指揮者としては)、という疑念がある。

この演奏にしても、サウンドは中低音を中心に混濁気味で、マーラーならではの複線的かつ色彩的な管弦楽法のおもしろ味は乏しい。
マーラー円熟期の作品だけに、聴く側としては、演奏者たちが繰り出す多彩な色合いに酔いたいところだけど、それどころか、マーラーのオーケストレーションを明快に鳴らし分けられているのか、心許ない感じ。耳をすますと、いろんな音がニュアンス伴って鳴っているようだけど、埋没している感じでもどかしい。

とはいいながら、未曾有に大編成な、特殊な楽曲の録音なので、踏み込んでの判断は控えよう。判断の材料として適当ではない。バーンスタインを聴くのは久しぶりのことだし、先入観を持って聴いているのだから。

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音の混濁感は音楽の見通しを悪くして、演奏の熱気とは別のところで暑苦しい気分を醸している。
聴き苦しい音楽になりそうだが、そこから救っている(と思われる)のが、メリハリの効いた表現ではないか。

この演奏でバーンスタインは、情熱的であると同時に明快な表情を作り出している。そのときどきの主要なフレーズを強調し、それを情熱的に歌いまわす。マーラーの息の長い旋律線と合わさって、音楽はとてもわかりやすくかつ力強く鳴っている。
それをすることは、上に書いた声部の複線的な進行の見えにくさにつながっているのだろうが、音のドラマはいたってわかりやすい。

結果として、サウンドの暑苦しさが、演奏の熱気に紛れているような・・・

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ここにこの交響曲の全貌があるとは思わないけれど、大編成が一丸となって燃え上がり、大きなボリュームのサウンドがうねるさまは圧巻。あれこれひっくるめての結論としては、けっこう楽しませてもらった。

マーラー 交響曲第8番 ショルティ / シカゴ交響楽団 他

  1. 2011/08/02(火) 08:00:00|
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1971年のスタジオ録音。

録音はすこぶる鮮明ながら、加工臭が強い。解像度の高い再生環境で聴くと、音の出方が色々と不自然。サウンドに一体感がないばかりか、位相の断層が見えるようで(理論に基づかない素人の心証だけど)、落ち着かない。
というわけで、解像度のゆるい環境に切りかえて再チャレンジ。これなら普通の高解像度録音くらいか。
オーディオ的にいい音を求めて、ギリギリまで作り込まれている録音みたい。

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ショルティは、透明なサウンドと機能美を強力に打ち出している。透けるような音が、軽快に転がったり、しなやかにたゆとうたり、力強く突き出したり、燦然と力を放ったり、巨大な塊となって押し寄せたり。音自体だったり、音の運動性だったり、そういう即物的な愉悦が絶大。

どこまでも透明で、壮快にパワフルで、物理現象のように整然とした音楽は、もはやわたしの情緒や想像力を刺激しない。下手をすれば単調に堕してしまいかねなくて、マーラーの音楽では具合が悪いようだけど、少なくともこの演奏はこれでいいと思える。

屈託無く高揚し続ける第一部に、親しみやすい旋律満載の第二部。陰影の深い音楽ではないし、曲調が大きく変化することもない。歌詞はともかくとして、音楽だけならわかりやすく演奏効果重視の作品ではないだろうか。
ショルティのあっけらかんとした表現は、そのものズバリではないかもだが、この交響曲らしさを表している、と感じる。

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独唱については、冒頭に書いた録音のせいで定位とか音の響き方がなんだか不自然だけど、みなさん美声で端正な歌いっぷり。
というか、今誰が歌っているのかをよくわからないで聴いていたので、ひとりひとりへのコメントは無理。

合唱は、物足りないというほどではないけれど、シカゴ交響楽団と並べて聴くと、演奏精度とか柔軟性の点で聴き劣りする。この録音を聴いて、もしサウンドに濁りを感じるとしたら、もっぱら合唱団のせいだろう。

というか、ここでのシカゴ交響楽団はすごすぎる。ショルティの手腕を含めて。エンジニアの手が入った録音であるとしても、等質に透明なサウンドと機動性の高さはただごとではない。
音色の透明感とか心地よい運動性で魅せるということは、ある意味表面的と言えそうだけど、並外れた技量の支えがあってこそ。