ベートーヴェン 交響曲第9番『合唱』 モントゥー / ロンドン交響楽団

  1. 2013/01/25(金) 13:40:34|
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1962年のセッション録音。ウェストミンスター・レーベルによる音源を、デッカ・レーベルが交響曲全集に組み込んだもの。
空間は広々として聴こえるけれど、楽音のフォーカスは緩い印象の録音。



分厚いというのではないけれどボリューム感はそうとうにあって、音楽の枠組みは大柄。
一方、音の出し方は軽くて機敏。表現の一つ一つにパンチ力は無い変わりに、細やかでニュアンス豊か。色彩感はそれ程でもないか・・・
威大さで聴き手を圧倒するより、スケール豊かに音のパノラマを展開するような感じ。この交響曲の祭典的な性格の表し方として、一つの方向性を示していると思う。



ふくよかな図体と軽妙な表現の組み合わせゆえに、表情の彫りは浅め。録音の影響もあると思う。
そこに、枯れた味わいが加わる。アンサンブルの動きは軽やかだけど、演奏の展開は淡々としている。

表情に乏しいということではないけれど、表情の変わり目でのメリハリの弱さを第一、二、四楽章でときおり意識させられる。
こういうアプローチだと、もう少し活気が欲しいかも。

盛り上がる場面では、音楽が大柄なので相応の手応えはあるけれど、頂点に上り詰めていく緊迫感みたいなものはほとんど感じられない(良し悪しはともかくとして)。



第三楽章は掛け値なしで堪能できる、と思う。上に列記した彼のアプローチの特徴が全面的にいい方向に作用していると思う。この楽章の特質を天国的な明朗さと捉えるならば、モントゥーの表現は本質を突いていると感じられる。豊かで、しなやかで、格調高い。これで、録音がクリアだったら・・・

ベートーヴェン 交響曲第9番『合唱』 セル / ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

  1. 2011/06/13(月) 23:56:00|
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1968年のライブ録音。モノラルなのは残念だけど、音質はかなり明瞭。

セルに限らず、優れた指揮者というのは、ひとつの作品をいろんな風に高い水準で演奏できるものだと思う。それぞれの指揮者は個性的な演奏スタイルを持っているけれど、あんな風にしか演奏できないということではなくて、そのように演奏することを選択した結果なのだろう。

セルの場合スタジオ録音の精緻で静的な佇まいが強烈に印象的だし、あれらの中に彼のエッセンスが詰まっているのは間違いないだろう。だからといって、コンサートで常にあのように演奏していたわけではないし、オーケストラが変わればやり方はさらに異なった。

クリーヴランド管弦楽団は、精緻で透明に質感を保ったまま、激しさ、やわらかさを自在に表現できる特別製のオーケストラ。だからクリーヴランド管弦楽団との演奏で、セルはその能力を存分に使いこなす。
しかし他のオーケストラは同じようにできないから、クリーヴランド管弦楽団のときのようにアプローチしてしまうと、劣化コピーに堕してしまう。

一方、いうまでもなくそれぞれのオーケストラにはクリーヴランド管弦楽団とは異なる魅力や強みが備わっている。どんな指揮者にも譲れないポイントはあるだろうけれど、それが許す範囲でオーケストラの持ち味を引き出した方が良い結果につながるだろう。まあセルは譲れないポイントが他の指揮者より多そうだけど・・・

というわけで、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団との第九。

* * *


第一楽章からすさまじい気迫で迫ってくる。のけぞりそう。
端正で見通しの良いアンサンブルを基調としつつ、その秩序の中で最大限にダイナミックなコントラストをつけて、鬼気迫る迫力をもたらしているのが、この演奏のすごいところ。

第二楽章も方向性は同じ。これだけの激しさなので精緻という感じはしないけれど、緊密なアンサンブルがベースになっている。しかし、ここでの強烈なティンパニはいささかヒステリックに聴こえる。やり過ぎではないか。

第三楽章は、この演奏のアプローチからすると見せ場を作りにくいかも。うまく演奏しても地味な印象に止まりそう。というか、実際そうなっていると思う。
中庸と感じられるテンポで、粘らず引きずらず端正に歌わせている。
スムーズなメロディの歌わせ方や室内楽的な音のバランスはセルならではの魅力。彼の目立たない側面だけど、清潔でニュアンスに富んだ歌わせ方は魅力的だと思う。

第四楽章は壮絶を極める。特に歌唱陣が加わってからが迫力満点。独唱・合唱はしょっぱなからオーケストラに勝るとも劣らないテンション。中でもテノールはノリノリ。
クリーヴランド管弦楽団ほどでなくとも、オーケストラのサウンドは透明度を保っているので、押し寄せるような厚みはないけれど、気迫と強烈なアクセントは圧倒的。というか、サウンドが分厚くないから、強烈なアクセントが威力を発揮している。
圧巻なのが終結部。もともとこの部分はサウンドのボリュームが薄くなる。盛り上げるなら強弱・緩急のダイナミックな変化とスリリングな合奏で追い込むしかない。ちょっとした乱れはあるけれど、ここまで胸のすくような終結部を聴いた記憶が無い。

セルの劇的表現力には目をみはる。ドラマティックな表現力を売り物にしていた指揮者ではないと思うのだけど、その気になればこんな風に聴く者を圧倒できてしまうのだ。

* * *


当時のニュー・フィルハーモニア管弦楽団はクレンペラーの時代。セルとクレンペラーでは音楽の質はかけ離れているけれど、作品へのアプローチの面では共通項があると感じる。

セルがそれを意識したかはわからないけれど、オーケストラのポテンシャルを引き出せていると思う。まあオーケストラとしては、これだけの演奏において最後までアンサンブルが崩壊していないだけで、大健闘。底力を聴かせてくれる。

ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱付き」 ワインガルトナー / ウィーン・フィル

  1. 2010/12/05(日) 21:08:35|
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1935年の録音。

とてつもなく古い録音にしては、アンサンブルの様子や雰囲気は伝わってくる(それが実像に近いかはともかく・・・)。しかし、第4楽章の合唱が加わってからは、いかにも心もとない。聴き続けることを止めたくなるほどではないものの、聴いたことだけでワインガルトナーの第九を受け止められた気はしない。

全体を通して言えそうなのは、この演奏は一大スペクタクルとしては第九を捉えていない。いつも通り合奏(のちに歌が加わるけれど)の中で音楽の面白さを表現しようとしている。
ワインガルトナーを知らない人が(わたし自身、こういう言い方をできるほど知っているわけではないけれど)、気合を込めて聴き始めたら、落ち着いた道行きに肩透かしを食らうだろう。

古い録音ゆえ音の透明度みたいなものはわからないけれど、内声部は明解に聞き取れる。特定のパートが大きな音を出して他のパートを塗りつぶすことを、原則としてやっていないようだ。だから、爆音効果や疾走するテンポ感などの派手な演出とは無縁。

この演奏を楽しむなら、録音の古さをかいくぐって、アンサンブルに耳を澄ますしかない。しかし、ここまで古い録音だとそれはけっこう面倒なことで、ワインガルトナーの音楽性にシンパシーを感じられる聴き手でなければ、根気が続かないかもしれない。

* * *


上に書いたとおりアンサンブルは明解で、均整のとれた端正なサウンド。とは言え、各パートの響きは豊かで伸びやかだし(ウィーン・フィルだから?)、柔らかいけれどコクと広がりのある低音のおかげで、弱弱しさとか薄さは感じられない(再生環境によりそうだけど)。
劇的効果という観点から聴くと穏当に聞こえるが、アンサンブルとしてはコクがあるというか、まろやかに濃厚なテイスト。

リズムはエネルギッシュに刻まれるけれど、ワインガルトナーは生々しさや機械的な感じを嫌って、曲線を描くようにはずませたり、間合いを変化させたりする。
よく言えば優雅に、悪く言えば角の取れた感じに聞こえるが、ロマンティックな表現を志向しているのではなく、趣味というか体に染み付いた所作みたいな感じ。
このあたりは好き好きだろけれど、そんなにしつこい感じはない。

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第1楽章は意外と小刻みにテンポが変化する。曲調の変化にあわせて小幅に変化させている。上に書いたワインガルトナー特有のリズム感覚のせいだろうか。
小さな変化なので楽章としてのプロポーションがゆがむ感じはない。しかし、流動感が強まって、対位法的な立体感は後退しているように聞こえる。
クライマックスでの鳴らし方は独特。柔らかく広がって演奏空間を包み込む低音部、量感を加えるだけで威圧しない打楽器、毅然とした表情を帯びつつも均衡美を崩さないアンサンブル。確固とした美学を感じる。

第2楽章は、ワインガルトナー特有のリズム感覚と柔らかい低音ゆえか(良くも悪くも)攻撃的な感触はないけれど、十分にエネルギッシュ。古い録音を超えてアンサンブルの活発なやり取りが伝わってきて楽しい。

第3楽章は、やや速めのテンポで、スムーズに、しなやかに歌われる。思い入れとか凝った演出はなくて、ただ線の流れをしなやかに、濃やかに聞かせる。個人的に、この楽章ではこういうアプローチを好むので好印象。
新しい録音ならさぞや魅惑的なサウンドを楽しめただろうに・・・と思わないではないけれど、その片鱗を味わうことはできる(ような気がする)。

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第4楽章も淡々と始められ、落ち着いた進行。「歓喜」の主題を反復しながら盛り上がるくだりも熱狂はなく、「厳か」⇒「晴れやか」くらいの展開。物足りないかもしれないが、楽章の構成を考えるとこの部分で熱狂する理由はないかもしれなくて、ワインガルトナーの選択は適当と考えられなくもない。

独唱は鮮明だが、合唱は奥に引っ込んで聞こえる。録音技術の都合なのか、ディテールの鮮度を保つための音楽的な判断によるのか、何とも言えない。いずれにしても、表現の細やかさは保たれる一方、合唱のサウンドとしての圧力は物足りなく感じる。声が空間に響く雰囲気があれば違った風に聞こえるかもだが、1930年代のモノラル録音には期待できそうもない。聞き取れたことだけでワインガルトナーを語るのは無謀な気がしてくる。

歌唱が加わって以降は相応に力強くスケールが広がる。行進曲やコーダは熱気を帯びて雄渾とすら感じる。ワインガルトナーは、(彼が考えるところの)盛り上げるべき箇所ではそうするし、その必要のないくだりで無用に力むことをしていない。

合唱が「歓喜」の主題を高らかに歌って以降は、歌唱陣とオケによってきちんとしたアンサンブルが進行する。いい意味でも悪い意味でも、大編成を頼んだ力任せはない。ドラマティックな起伏を期待すると透かされるけれど、ワインガルトナーのアプローチは一貫している。

前に書いたとおり、コーダは大曲の締めくくりにふさわしくというか、個人的には意外なくらいに激しく盛り上がる。エンジニアが勝手にボリュームをいじったわけではないと思うのだけれど・・・

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この交響曲はもともと4つの楽章のバランスに難があると思うけれど、あまりにスペクタキュラーな方向に走ってしまうと、さらにバランスがおかしくなるし、第1〜3楽章の性格付けが半端になってしまう。また、そうすることで、しばしば晩期ベートーヴェンならではのヴィヴィッドな対位法が損なわれてしまう。

そういう観点からすると、この録音は安心して楽しむことができる。楽曲の持ち味を引き出しつつ、ワインガルトナー自身の趣味とか美意識が無理なく練りこまれていて、味わい深い。これで録音がもう少し新しければ、艶やかで豊かな音響に酔えることと妄想するけれど、言っても仕方のないことだ。

ただし、第4楽章は、上に書いたとおりだが、録音への物足りなさが先にたってしまう。いや、録音が残っていたことに感謝しておけということか・・・

ベートーヴェン 交響曲第9番"合唱付き" : シューリヒト / パリ音楽院管弦楽団

  1. 2010/11/24(水) 00:48:15|
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1958年の録音。ステレオ録音もあるらしいが、聴いたのはモノラル録音。

19世紀に生まれて20世紀前半〜中葉に活躍した世代の指揮者たちの中で、わたしが聴いたことのある人物はごく限られるけれど、楽譜の読みの深さと、楽曲の方向性に沿った形での創意のすばらしさにおいて、シューリヒトはエーリッヒ・クライバーやクレンペラーと並ぶ特別な存在。
必ずしもこの3人が彼らの時代の最高の指揮者というつもりはないけれど・・・

シューリヒトは、「楽譜に忠実」をコンセプトにしている風ではない。しかし、作曲者への仁義をしっかり通している。楽曲のフォルムを崩さず歪めず、そして楽譜の音をもれなく明解に聴かせる。それを当たり前のようにやるので、堅苦しさや杓子定規な印象はなく、端整でありながら活気がある。
筋を通した上での演奏者の創意工夫は、我田引水にならず、楽曲の可能性の発現と聴くことができる。

シューリヒトは、音の重ね方、フレージングやアーティキュレーションに創意を発揮する。特徴的なのは、エネルギッシュで歯切れの良いアクセント。そして、各パートの音量が概ね均等であり、全パートが適材適所に役割分担しながら表現に積極参加していること。ある意味バロック音楽の器楽合奏風に、合奏の面白さ・楽しさで聴き手を引っぱって行く。
各パートの音量がそろっていることで、この世代の指揮者にしては軽快なサウンドと聞こえるが、そのぶん表情は多彩に変転するので、飽きないどころか一瞬一瞬から目を離せない。

シューリヒトのアプローチはごくごくまっとうなもので、読みの深さとか練度は超一流と感じる。シューリヒトの前では、テンポを大きく揺らすとか、大音響によるこけおどしなどは、言葉が悪いかもだが大道芸のように聞こえる。しかし、人気の裾野を広げたければ、大道芸も必要なのだ、たぶん。

* * *


シューリヒトのアプローチを考えると、オケには精緻なアンサンブルを求めたくなるが、パリ音楽院管弦楽団のアンサンブルはどちらかというと粗い。しかし、オケの技術の壁なのか、指揮者本人が必ずしも精確さに重きを置いていないのか、判断に迷う。
とはいえ、シューリヒトのやろうとしてくることが伝わってくるレベルの演奏にはなっている。

第1〜2楽章は、快速で歯切れが良い。しかし、密度の濃いアンサンブルと颯爽として自信に充ちた表情のせいか、軽さはない。
第1楽章のクライマックスでは激しく高揚して、オケをセーブしている気配はまったくないのに、各パートの丁々発止のやり取りやハモリ具合が表現としてはっきりと聞き取れる。古いモノラル録音にもかかわらず。どういう仕組みになっているのだろう・・・
第2楽章は、歯切れ良いアクセントは気持ちいいが、たとえば木管パート中心に聴いてみると、その芸の細かさに目を開かされる。

第3楽章はテンポが緩んで、想像よりロマンティクな表情。丁寧に歌いこまれている。しかし、粘っこさや陶酔感はない。自然で淀みがない。むしろパリ音楽院管弦楽団のキャラが加わって晴朗な印象。ただし、ホルンの音はこのオケらしいけれど、第九には微妙。

第4楽章は、鋭い切り込みで始まる。歯切れよく進行するが、テンポは堅固に安定していて、楽曲の大きさが自然に表れてくる。ことに合唱が加わって以降は、毅然として格調を感じさせる。
気合は十分だけど、演出臭はなくて、曲が立派だから演奏もそうなっているだけ、とでもいうような佇まい。第九の終楽章でこういう空気を出せるのは凄いと思う。

ベートーヴェン 交響曲第9番"合唱付き" : フルトヴェングラー / バイロイト祝祭管弦楽団

  1. 2010/11/14(日) 20:19:56|
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現時点で「バイロイトの第九」には2種あるようだ。長らく名声を博してきたEMIによる録音と、最近放送局から忽然とよみがえったバイエルン放送による録音。やっかいなのは、ともに「バイロイトの第九」を名乗りながら、演奏の中身が違っていること。
しかし、この問題には立ち入らず、長年「バイロイトの第九」として親しまれてきたEMI版を取り上げる。

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高名な演奏だが、「バイロイトの第九」が果たしてフルトヴェングラーの代名詞たる名演奏なのかは疑問。また、第九の模範的演奏と言えるのかは、さらに疑問。

特に第1楽章はパッとしない。力強い部分は気合が入っているようにも聞こえるが、弱音になると緊張感が持続せず、締まらない。クライマックスはそれなりに盛り上がるけれど、そこに至る道程が弱いので、圧倒されない。らしさに感心したのはコーダのおどろおどろしさくらい。
だいたい、この第一楽章は対位法的立体感を演出しないと面白くならないと思う。テンポを揺らしたり、タメを作ったり、爆音で聴き手を威嚇するのは、楽曲の格調を損なっていると思う。

第2楽章は、毅然と始まり、楽章全体に活気があるし、中間部は表情豊かで気に入った。普通にいい演奏だが、特筆すべき魅力はないと思う。

第3楽章は、主旋律の流れをクローズアップし、ゆったりと瞑想的に進行させる。フルトヴェングラーの自己主張が強く出ている。静かに回想に浸るかのような心地よさに聞き惚れてしまう瞬間はあるものの、19分も続くと飽きが来る。そんなに引っ張れるほど、この楽章は中身のある音楽ではない。
また、雰囲気はすばらしいけれど、言い換えると気分に流れていて、交響曲全体の中では浮いてしまっている。フルトヴェングラーが、全曲通してのビジョンを持って演奏しているかは、疑わしい。

さて、大規模な第4楽章。ここにきて、フルトヴェングラーの実力を実感。
テンポの緩急はあるけれど、総じて畳み掛けてくる感じ。
冒頭こそ粗さが目につくが、「歓喜」の主題を反復しながら高揚していく展開は滅多にないくらいに鮮やか、と感じる。
独唱と合唱が加わって以降は、オーケストラ・歌唱陣が一体となっての高揚が圧巻。特に合唱は迫力満点。各変奏ごとの表情変化が明確で、ドラマティックかつわかりやすい。そもそもこの楽章の変奏は、見事ではあるけどそんなに面白くないから、この演奏のようにメリハリをつけてくれた方が楽しめる。ドラマティックでわかりやすいのがフルトヴェングラー最大の魅力だろう。
全身全霊を込めての盛り上がりは凄いのだけれど、わたし自身がその勢いに持っていかれるかというとそんなことにはならない。上に書いたとおりそんなに面白味のある変奏ではないと思うのだけど、だからと言ってこんな風にノリとパワーで押し切られてしまうのは物足りない。まがりなりにも楽聖の到達点を聴くのだから、表現としての(≠音響としての)深さとか奥行きが欲しくなる。

全体的に、録音のせいもあってかスケール感はほどほどだが、フルトヴェングラー特有のうねる感じはある。
オケはけっこう粗いけど、技術的問題というより、指揮者との意思の疎通が不十分なのかもしれない。

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フルトヴェングラーのアプローチは、晩期ベートーヴェンならではの書法に深く入り込まず、自分流のわかりやすくドラマティックな表現に徹している。
やっていることは演奏効果重視の俗っぽいアプローチだけど、この人のがやると不思議と安っぽく聴こえない。芸格の高さということか。

第4楽章での数々の効果的な大見得はさすがで、ぜひとも自分で耳でそれらを確認して欲しい演奏ではある。