ワーグナー 楽劇『トリスタンとイゾルデ』 フルトヴェングラー / フィルハーモニア管弦楽団

  1. 2011/05/05(木) 23:00:00|
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1952年のスタジオ録音。聴いたのはEMI盤だけど、モノラルとはいえリアルな好録音。

ワーグナーの楽劇は質・量とも大規模なだけに良質のステレオ録音で楽しみたい。しかし、作品が長大なだけに、感覚的にしっくりくる演奏でなけれ聴き通せない。映像があるのならまだしも、音だけで楽しむのなら。今のところ後者の気持ちが強くて、古いモノラル録音でもさほど差し障りを感じない。 そんなわたしの感性からすると、この録音はかなりすばらしい。

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たぶんわたしの楽しみ方は邪道で、場面とか情景とか心理描写などの芝居としての要素抜きで楽劇を聴く。さすがに、ストーリーの流れとか主な登場人物のことはある程度知っている。でも、個々の場面となると、舞台上にどの人物がいて、今歌っている役柄は誰で、どういう歌詞なのか、みたいに追求されるとへにゃへにゃ。 わたしの音楽の楽しみ方は、行き着くところ音の変化の妙を楽しむところにあるようだ。歌劇をほとんど嗜まないけれど、ワーグナーの楽劇は例外の1つ。純粋に音として面白い。

歌手たちの歌唱とか歌による演技には無頓着。わたしの中では、アンサンブルを形成する1構成要素にすぎない。汚い声とか音を外されると気になるけれど、イゾルデといえば○○が素晴らしいとか、ヴォータンは○○に限るというような感覚を持ち合わせていない。

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わたしの中では、フルトヴェングラーというと、楽曲のポテンシャルを引き出すより、大げさな表現で聴き手を煽るエンターティナーとしてのイメージが強い。 しかし、この『トリスタンとイゾルデ』は、これまでに採り上げてきた演奏とは一味も二味も違う。誇張っぽい表現あるけれど、聴いている間にフルトヴェングラーの体臭を意識することはほとんどなくて、作品のおもしろさとか凄みがストレートに伝わってくる。堪能し、感服しました。

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ベルリン・フィルでもウィーン・フィルでもなく、フィルハーモニア管弦楽団であることが、名演奏の誕生に一役かっているように感じる。 ベルリン・フィルもウィーン・フィルもすばらしいオーケストラだけど、自分たちのキャラクターを武器とし、それを前面に出してくる。また、いずれもフルトヴェングラーとはツーカーの関係にあるから、あうんの呼吸で過剰装飾しただろう。 その点、ここでのフィルハーモニア管弦楽団はキャラとして無色に近い。しかも抜群に腕が立つ。よって、機能的なアンサンブルを基調としつつ、フルトヴェングラーの濃厚でドラマティックな流儀がストレートに映し込まれている。

フルトヴェングラーも、手兵のベルリン・フィルのように鳴らそうとしないで、フィルハーモニア管弦楽団の機能的で緻密なサウンドを存分に活かしている。

フィルハーモニア管弦楽団の方がベルリン・フィルやウィーン・フィルより優れているとか、フルトヴェングラーと好相性なのかというと、一般論としてはNoだろう。ただ、この録音に関しては、両者の出会いが『トリスタンとイゾルデ』の高密度で色彩あふれる音楽にピタリとハマっている、ように聞こえる。

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いずれにしても、密度の高い音楽が、力強くかつ表情豊かに、めくるめく表情を変えていくさまを言葉に表すことはできない。聴くうちに吸い込まれ、頭の中が真っ白になってしまう感じ。無心になって音楽の移り変わるさまに聴き入るのみ。

ここでのフルトヴェングラーは、スタジオ録音と言うこともあってか、一歩ひいた位置にいて、作品の有り様を表現している。聴き手を煽るようなあざとさを感じない。精魂を込めて楽曲に命を吹き込んでいる、ように聴こえる。いっつもこんな風に演奏してくれたら・・・

この作品に関して言われがちな官能性とか陶酔感は、楽曲の属性として適切に表現されているけれど、気分とか雰囲気に浸るより、音楽としての密度の高さとか多様さに打たれる面が大きい。あえていえば、気分的にはシリアスさ、緊張感が勝っていると思う。

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どういうわけかオーケストラと歌手たちとのコンビネーションは悪い。歌唱込みでのサウンドがイメージされていないような鳴り方。音量の面だけでなく、表現の濃さの面でもオーケストラが強い。オーケストラは、歌唱陣おかまいなしに、ひたすら自分たちの音楽の充実に邁進している、ように聞こえる。 オーケストラが強奏する場面では、歌唱陣は吹っ飛ばされてしまう。歌唱と楽器のソロが交差する場面でさえ、ソロの楽器は「わたしの聴かせどころよ!」とばかりの雄弁さ。 録音のせいでそのように聴こえるのか、当時のフィルハーモニア管弦楽団がオペラに不慣れだったのか、フルトヴェングラーのオペラ指揮者としての力量なのか、わたしの耳が悪いのか、これだけでは判断しかねるけれど。

そんななか、ヒロインを歌うフラグスタートは、この時すでに盛りを過ぎていたらしいが、声の力でオーケストラと対等に渡り合っている。イゾルデの演技としてどうなのかは、よくわからないけれど・・・