ブラームス 交響曲第4番 ラトル / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

  1. 2012/09/23(日) 19:00:59|
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2008年のライブ録音。

聴き手の情緒を刺激するような生々しさはなく、甘口でほの暗い色調のサウンドを豊かに響かせ、楽曲を楽しむかのように享楽的。

モチーフの線的な絡み合いというより、音響の色合いの変化でもって耳を楽しませる。そのように聴こえるのは、ホールの音響特性とか録音のせいもあるのだろうけれど、音響効果指向の解釈と思う。フレージングには芯がないし。
鳴りっぷりはいいけれど、ほの暗いトーンを帯びていて、まるっきり陽性という感じではない。まあでも、屈託のない演奏ではあるかな。

聴きどころは、スケール豊かで発色のいい音響美と思う。楽曲の推移に即してカラフルにドライブしていく。磨き上げられた美しさというより、パレットの色数の多さを見せつけられる。
喜怒哀楽とかの感情を揺さぶることより、色彩感とかヴォリューム感とかの、ダイレクトに感覚器官に訴える次元で、音楽のバイタリティを生み出しているような感じ。

音響効果重視の大柄な演奏は、音楽の肌理は大味に響きがち。音響美に酔えないときは、大味さが意識されてしまう。

ブラームス 交響曲第4番 チェリビダッケ / ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

  1. 2012/05/06(日) 21:46:03|
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1986年、来日公演のライブ録音。



遅いテンポに彫りの深い表情。そして鳴り渡るたっぷりとした美音。ミュンヘン時代のチェリビダッケらしいアプローチだけど、誇張と感じられる要素は案外と少ない。

テンポは他と比較してかなり遅いけれど、作品の入り組んだ書法を解きほぐして、聴き手に念を押すように響かせるためのテンポ設定と考えれば、納得できる範囲。そして、楽章単位で聴いても、全曲を俯瞰しても、遅いなりに造形は端整でバランスはとれている。
聴かせどころでタメを効かせるけれど、全体のペースが遅いために、誇張というほどには目立たない。

チェリビダッケは自分の美意識を前面に出す指揮者だけど、特定のパートを誇張したり、逆に音を剪定したりというやり方ではない。作曲者が記した音を余すことなく、とことん磨き上げることで独自の世界を形作る。
そして、チェリビダッケとこの交響曲の相性はとてもいいように感じられる。ここでも彼は遠慮なく自分流を貫いているけれど、上に書いたとおり作品イメージから乖離していないようだし、それどころか作品の緊密で洗練された書法をわかりやすく提示してくれる。

作曲者がイメージしていたのは、もっと引き締まって、流動性の強い音楽だったと想像するけれど、そのように演奏されると精妙なオーケストレーションが走馬灯のように流れてしまう。それはそれで気持ちよいのだけど、ときにはブラームスの彫琢ぶりをじっくりと堪能したくなる。
じっくりと構えたような演奏は他にもあるけれど、線の一本一本をぼってりと肥大化させて、大河ドラマっぽく滔々と流されてしまうと、(個人的には)ブラームスらしくなくなる。その点、チェリビダッケは、むしろ作品の書法の端整さ、見通しの良さを最大化させる方向に拡大している。



安全運転志向ではなく、意欲的に自分たちの音楽を仕掛けているように聴こえる。その分粗さはあるけれど、気に障るような瑕にはなっていないし、みなぎる気迫が気持ちいい。
終楽章の後半部分は技巧的で変化に富んだ音楽だけど、最後の最後でぶった切られたような後味になりがち。チェリビダッケは、音響の濁りを抑えながら、深い呼吸で一拍一拍に気合を込めるように畳み込む。勝利を歌い上げるような高揚感とは別種の、何かをやり遂げたような達成感があってスカッとする。個人的には、微妙な後味にこそブラームスらさを感じるのだけど、この演奏の気持ちよさを否定できない。



別掲の1974年盤(シュトュットガルト放送交響楽団)とは甲乙つけられない。
来日ライブの方が、表現の彫りは一段と深くなり、サウンドは厚みとスケールは増して、巨匠っぷりの良さでは圧勝かもしれない。しかし、この交響曲は重厚長大にやればやるほど良くなる、というものではないだろう。
というか、方向性に共通項はあるけれど、それぞれを聴くときには、別種の楽しみを期待する。わたしの中でこの2つの演奏は、優劣を云々するような位置関係にはない。

ブラームス 交響曲第4番 チェリビダッケ / シュトュットガルト放送交響楽団

  1. 2012/05/01(火) 18:28:15|
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1974年のライブ録音。細部が鮮明ということではないけれど、自然なホールトーンが気持ちいい。音のクォリティはほどほどだけど、音響効果に格別に心を砕いていたらしいチェリビダッケの演奏を聴くには適した音だと思う。



美しくて甘口に彩られたアプローチの中では、わりと気に入っている演奏。

そのサウンドは透明度が高くて歌いっぷりは解放的。量感と広がりはあるけれど重みを感じさせないレベルにコントロールされている。憂鬱なムードをすっかり洗い流して、屈託無く楽曲の美しさを歌い上げ、響き渡らせる。

感覚的な心地よさに傾斜しながらも、強いドラマ性を宿している。例によってチェリビダッケの唸り声は頻繁に聴こえる。
ここぞというところでは緊張感がみなぎり、音に張りが出る。ただし、あくまでもサウンドの透明度とか、見通しの良さが優先されていて、ドラマ性には制動が効いている。感覚的な心地よさが優先される分、シリアスな雰囲気は薄いかもしれない。

遅いというほどではないくらいの余裕あるテンポを基にしつつ、ここぞという聴かせどころではたっぷりとタメを効かせる。芝居っ気たっぷりのベタなやり方。この点もシリアスさを薄める方向に働いているかもしれない。が、サービス精神の発露と受け止めれば、悪い気はしない。



美音系の演奏というと、弦を前面に出して艶やかに歌わせ、木管は控えめ&繊細にというパターンをよく耳にする。個人的には、このパターンは木管の押し出しが弱い分だけ単調に聴こえる。
チェリビダッケは一味違う。木管も弦に劣らず雄弁に鳴らさせ、歌わせる。軽快で活気を感じさせる奏法が徹底されていて、全体の解放感や華やぎに大きく貢献している。

というか、木管の扱いに限らずあらゆるパートを自在に駆使して、停滞しているような、淀んでいるような時間を一瞬たりとも作らない。透明感を基調としつつ、パステル様に絶え間なく色合いを変化させる感じで気持ちがいい。

デフォルメが強い演奏様式でも、チェリビダッケのように作曲者が記した音を余すことなく使い尽くすタイプは、小手先感が全くないし、感覚的にも知的にも刺激があって楽しい。そして、歪められているとしても、そこに楽曲のポテンシャルを聴くことができる。



渋いキャラのはずのこの交響曲を、こんなにも透明に、色彩的に、生き生きと鳴らせることの背後には、チェリビダッケの並外れた才能と手腕、そしてオーケストラの研鑽があるのだろう。
でも、出来上がった演奏は、芸術的創意で尖った感じではなく、むしろ質の高いエンターテイメントになっている、と思う。理屈をこねるより、ただ浸って楽しみたい質の音楽。
チェリビダッケは1970年代中盤の段階で、後年とは違う形で自己の演奏様式を一旦完成させていたのだと思う。

ブラームス 交響曲第4番 ジュリーニ / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

  1. 2012/04/24(火) 19:06:18|
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1989年のセッション録音。ホール内の響きを生々しくとらえたような音質。わたしにとっては、真価を引き出しにくいタイプの高音質。



別掲のシカゴ交響楽団との録音から20年後のセッション録音。コンセプトに通底するものを感じるけれど、演奏から受ける印象は大きく異なる。旧録音では、ディテールはそれなりに雄弁であったけれど、音楽全体の流麗な進行に軸足が置かれていた。一方の新録音では、足取りは滔々たる大河のようで、その中でフレーズのひとつひとつをじっくりと熟成させるよう鳴らし、雄弁で濃厚な表情を醸し出している。

とは言え、新録音でもたっぷりとした音響とか曲線的なフレージングとかがあいまって、音楽はスーパースムーズに流れていく。たっぷりとなめらかに流れることが、音楽のDNAに組み込まれているかのように、徹底されている。悠々と流れる様には独特の風情があるし、織りなされる綾には時折ハッとさせられる。線の流れを編み上げるようなブラームスの書法との親和性は高いと思う。

あらゆる音が、ごく自然に振る舞っているように聴こえながら、吟味し尽くされて鳴っている。癖の強い演奏のはずだけど、耳が馴染んでくると、すべてが必然にしたがって流れているように思えてくる。老成円熟した大家にしか出せないオーラが立ちこめている。



艶がかってこってりとした音響や甘く流れるような歌いっぷりは、落ち着いた感じの豪華さと大河ドラマ風の恰幅をもたらしている。ちょっと妄想を膨らませると、世紀末の貴族社会を舞台にしたメロドラマ風年代記みたいな感じ(?)。基調はメランコリックだけど、けっこう甘くてゴージャス。
そのこと自体に良いも悪いもないけれど、ジュリーニは音楽の表層に近い部分で強く自己主張しているから、楽曲の素顔から隔たった音楽ではあるのだろう。というか、ぶっちゃけ厚化粧な演奏なのだと思う。



楽曲の味わいとか指揮者との相性を考えると期待感は高まるけれど、ここでのウィーン・フィルが魅力的に聴こえるかというと、ちょっと微妙。弦の歌いっぷりや総体でのブレンド感は香ばしいものの、いささか淡彩。特に木管は艶消しされたような薄い表情で、あんまりきらめかない。録音質のせいでそのように聴こえるのかもしれないが・・・


ブラームス 交響曲第4番 ジュリーニ / シカゴ交響楽団

  1. 2012/04/22(日) 06:00:00|
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1969年のセッション録音。オーケストラ全体としての豊麗な響きを重視するような質感。演奏の特性を考えるとディテールはもうちょっとクリアであって欲しいと思わないではないけれど、不鮮明というわけではない。



遅いというほどではないけれど、ゆとりを感じさせるくらいのテンポにのって、丹念に歌い上げられていく。
ジュリーニの意識は、艶やかかつ豊かに響かせ、流麗でよどみの無く進行させることに徹している。リアルに知覚できる種類の音楽の美しさ(綺麗とか、洗練されているとか)を追求している。
丁寧な手つきの演奏だけど、多様な表情を掘り起こすというより、量感豊かな弦の響きを主体として、音楽全体の流れと響きを丹念に磨き上げるような風情。表情の多様さとか幅の広さみたいなものはほどほどだけど、仕上がりの美しさは群れを抜く。

シカゴ交響楽団のアンサンブルは端整でよく切れているけれど、音楽の表面が刺々しくなったり角張ったりしないように徹底管理されている。



ジュリーニが追求しているのは、名工が腕に縒りを掛けて作り上げた宝飾品が纏うような、直接的に感覚に訴えかけてくる種類の様式美だと思う。ふだん心の深いところにしまっている非日常的な感覚を揺り動かされるようなタイプの音楽ではないと思う。
とは言え、ベタな種類の美しさ・洗練であっても、その上質感は日常的とは呼べないレベルに迫っていると感じる。演奏から伝わってくる一途な姿勢も、そういう印象を強めている。



これは1960年代後半の演奏で、ジュリーニの後年のスタイル(といっても、本来一括りに語れるものではないけれど・・・)と比較すると、ざっくり言って、流麗な気持ちよさで勝るけれど、そのぶん表現の彫りの深さは及んでいない。優劣とは別次元の、質的差異のような気がする。演奏のクォリティは十分に高いし、流麗な心地よさはこの交響曲を楽しむ上でより好ましく聴こえるかもしれない。


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