モーツァルト レクイエム  コープマン / アムステルダム・バロック管弦楽団他

  1. 2013/01/11(金) 06:00:00|
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1989年のライブ録音。



響きの薄いピリオド楽器の特性を良い方向に活かして、わかりやすく親しみやすい音楽をやっている。

歯切れが良くて活気がある。この小気味よさは、ダブつかないサウンドがあってこそ、と感じられる。

ピリオド楽器・奏法による演奏らしいてきぱきとした進行だけど、ディテールが勢いに流れる感覚は無い。
線的な流れの一つ一つがクリアで、色彩感に富んでいて、きらめくよう。ピリオド楽器の演奏団体の中で、この艶っぽい色彩感は出色と感じる。

演奏はうまくて、演奏にも歌唱にもコンセプトが徹底されていて、ライブらしい流れの良さも感じられる。



もしかしたら好みが分かれそうなのは、鎮魂ミサ曲であることの趣旨を良い意味でも悪い意味でも感じさせないところ。
どこか華やかで屈託を感じさせない。たとえば第3曲の『怒りの日』では金管や打楽器を小気味の良く弾ませて、畏怖というより爽快さを覚える。

狙ってこういうレクイエム像を提示しているのではなくて、そもそもコープマンの意識は、レクイエムのあり方を追求するより、目の前にある音楽を色づかせ活気づかせることに専ら向かっているように感じられる。



学究的な小理屈抜きで、純粋に楽しみとして鑑賞できる水準のピリオド楽器・奏法によるモーツァルトと思う。その意味では好ましいけれど、楽曲その物を堪能する目的で聴く演奏ではないかも、個人的には。


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モーツァルト レクイエム  ヴァイル / ターフェルムジーク他

  1. 2012/09/15(土) 23:57:44|
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1999年のセッション録音。ピリオド楽器・奏法による演奏。

少年合唱が起用されていて、声の質として女声合唱より薄く軽く響くけれど、演奏全体が軽快かつキビキビと進められるせいか、少年合唱のデメリットを感じない。そのメリットの部分、軽やかで柔らかいところがこの演奏の味わいにつながっている。

演奏時間からするとかなり速い演奏と言えそうだけど、進行はいたってスムーズだし、サウンドの柔らかさもあってか、先を急ぐような感じは受けない。
また、各パートをバランス良く立体的に鳴らすので、力強さ・量感はそれなりに感じられる。

ブレンド感の強い柔かな響きのせいか、彫りの深い劇性は望みにくい。磨き上げられたサウンドの美しさに酔えることもない。
が、淡白な演奏というわけではなくて、自然体風な歩調を乱さない範囲で歯切れのよい表現が繰り広げられている。マイルドなサウンドに紛れがちながら、細かいところまで行き届いているし、緊張感や力感も備わっている。

押し出しの強い演奏が多くて、ついついそういう曲のように思い込まされがちだけど、適切なバランスはこのあたりなのかもしれない、と思わなくもない
初めて聴いたときはずいぶん地味に感じたけれど、聴く度にジワジワと親近感が増す録音。

モーツァルト レクイエム  ヘレヴェッヘ / シャペル・ロワイヤル他

  1. 2012/09/05(水) 06:00:00|
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1996年のライブ録音。ピリオド楽器・奏法による演奏。

端整なレガート(連続する音を途切れさせずに滑らかに続ける)と艶やかなハモリ具合が心地よい。
端整なレガートという言い方をしたけれど、個々の声部は流れるような曲線美なのだけど、見通しの良さや造形を歪めることはないから、楽曲の格調を損なうことはない。艶と格調が同居する独自の世界は、反則的なまでに魅力を発散している。
このあたりは、ルネサンス・ポリフォニーとかフランス・バロック音楽なんか魅力的な録音を残しているこの指揮者ならではという感じがする。

ただし、なよっとしているわけだはない。テクスチュアを濁らせない限度に量感がある。このことが音楽に奥行きをもたらしていると思う。

ソリストは美声だし、自前の合唱団には抜群にうまくてヘレヴェッヘの流儀が染み渡っている。ヘレヴェッヘ・ワールドが高い純度で展開されている。それに尽きるのではないだろうか。

ヘレヴェッヘのやり方はモーツァルトの音楽といい感じにシンクロしていると思うのだけど、この演奏にモーツァルトのレクイエムらしさがどのくらい発現しているかと問われたら、答えを保留してしまう。
ヘレヴェッヘの生み出す曲線美は総論としてこの曲に合っているように思えるけれど、しかし、たとえば、こんな撫で肩なフーガ演奏をモーツァルトは想定していたのだろうか?などと疑問を抱く余地はある。
この演奏の行き方はいささか耽美的であって、深い艶が出るようにすみずみまで磨かれていることが、魅力にも偏向にもつながっているような感じ。

モーツァルト レクイエム  ガーディナー / イングリッシュ・バロック・ソロイスツ他

  1. 2012/08/24(金) 06:00:00|
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1986年のセッション録音。ピリオド楽器・奏法による演奏。
他に、モーツァルトの没後200年にあたる1991年に撮られたライブ映像を鑑賞したことがある。演奏の中身は別にして、録音質に限ると1986年録音の方が勝る。

ガーディナーを聴き始めた頃、それなりに考察を重ねた上で演奏に臨んでいるようだし(音盤の解説あたりからの印象に過ぎないけれど)、とても明解&端整な演奏様式だから、楽曲の率直な姿を聴かせてくれる指揮者という第一印象を抱いてしまった。かなり前のことだけど。
しかし、いくつか演奏を聴いてみると、どれもガーディナー臭が強い。楽曲の持ち味よりガーディナーその人の存在を意識させられる。どうやら、突き詰められた明解さ、平明さは手段ではなく、それこそがガーディナーのケレンなのだ。指揮者としての美意識なのだ。
このレクイエムの演奏は、その典型のひとつだろう。

ガーディナーは、パート間の主従関係を明確に鳴らす。従たるパートはごくごく控えめに修飾的に扱われる。おかげで音楽の流れもサウンドもすっきりと明瞭。
そして、そうしたことを完璧と思える精度の高さでやっている。「◯◯が上手い」「××はもうひとつ」とか、個別論を持ち出す気持ちになれないくらいに一体として高品質。

透けるような響きのせいか、立体感とか奥行きを感じ取りにくい。いや、音響のせいばかりではない。対位法的な場面では、複数の線をある程度拮抗させることで立体感が生まれると思うのだけど、上のとおりガーディナーは主従をはっきりさせてスムーズに流すことを優先するから、なんだか平たく聴こえてしまう。意地の悪い言い方をすると、対位法が単に賑やかしの技法に止まっている感じ。

まあしかし、それもこれもガーディナー流ということで、技量より作品観とか様式観に関わるところ。解釈は徹底されていて、演奏の品質は申し分ないから、あとは好みだろう。

モーツァルト レクイエム  アーノンクール / ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス他 (2003)

  1. 2012/07/29(日) 12:30:59|
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2003年のライブ録音。ピリオド楽器・奏法による演奏。

この指揮者独特の演奏様式を聴くことができる。瞬間瞬間のインパクトを引き出そうとする表現意欲が強烈で、つながりはスムーズに聴こえるものの、場面の連なりの中で生み出される息の長い抑揚みたいなものを感得しにくい。押しの強い表現の連続はたいそう聴き応えがあるけれど、それらの相乗効果としての大曲を堪能したという後味は乏しい。

濃くてコントラストの強い表情を表出しながら、曲調を思い切りよく切り替えていく。表現の質としてもサウンドの面でも、透明感とか平明さは感じられない。曲調が穏やかになる場面であっても、濃い表情でグイグイと訴えかけてくる。演奏者の意志がみなぎっていて、雄弁。

アクの強い演奏には違いないし、この作品の一面をクローズアップしたような、言い換えると偏りのある再現と思う。
聴き手の気を引くための小手先のケレンとは感じられないけれど、単純に楽曲への思い入れの強さとも片付けられない。表現者としての自意識の強さからくる強烈さだろうか。あるいは、すみずみまで生気を漲らせずにはいられない本能or衝動なのだろうか。

これだけ思い切りよく演奏しても、音楽の濁りや澱みはさして気にならない。アーノンクールの統率力の賜物だろうし、オリジナル楽器・奏法のメリットを強く感じる。

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