ストラヴィンスキー 『ペトルーシュカ』 クレンペラー / ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

  1. 2012/11/09(金) 12:37:47|
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1967年のセッション録音。目前にステージが広がるようなサウンドイメージ。空間情報は物足りないけれど、リアルなサウンド。オーケストラのやっていることは鮮明に聴こえてくる。
EMIにセッション録音されながらお蔵入りになっていたものをTestamentがリリースしたのがこれ。



第一曲目は、重くておぼつかない感じの足取りに不安を覚える。リズムのめまぐるしい変化に対応しきれていない様子。しかし、繰り返し聴くうちに慣れてくる。本当に危なっかしい箇所はそんなに多くない。
『ペトルーシュカ』は機動性の乱れが気になりやすい楽曲だと思う。はじめから「おぼつかないアンサンブル」のつもりで聴くと、思うよりずっと健闘している感じ。

そして、第二曲目以降はアンサンブルはけっこう安定してきて、不安なく音楽に浸ることができる。



クレンペラーは錯綜するリズムを並列的に扱う。「このリズムを基調にして、あのリズムは装飾的に軽く刻ませる」みたいな編集を感じさせない。強さのバランスを調整しているとしても、すべてのパートが刻むリズムを克明に聴かせる。全体ひっくるめると、リズミカルという語感にはそぐわないけれど、ありとあらゆるリズムが力強く弾んでいる。
そして、その様を聴かせるためのテンポと考えると、遅すぎるテンポとは言いきれない(ように感じられる)。

細かい音が聴き取れる演奏は数あれど、これほどディテールが生々しくかつ立体的に聴こえる『ペトルーシュカ』は滅多にないと思うし、その秘訣の一端はリズムの処理にあるのではないか。音が走馬灯的に過ぎていかないで、強く刻印される。

まあ、バレエ音楽という意味では規格外に即刻判定されそうだけど、ストラヴィンスキーのオーケストレーションのおもしろさがつぶさに伝わってくる。

クレンペラーは色彩的なサウンドで聴き手を魅了するタイプの指揮者ではないと思うけれど、サウンド・コントロールの力量は優れていて、音は濁らず、その輪郭は終始鮮明。


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ストラヴィンスキー 『ペトルーシュカ』 ストラヴィンスキー / コロンビア交響楽団

  1. 2012/10/28(日) 15:25:38|
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1960年のセッション録音。
ストラヴィンスキーは1911年版、1947年版ともこの年に録音している。今回聴いたのは1947年版の方。
録音は優秀で、空間の広がりみたいな感覚はもうひとつだけど、録音年代を考えたら十分以上だし、それ以外の面では不満を覚えなかった。



わたしは近現代の音楽を好んで聴く方ではなく、作曲家自身の自演を聴く機会は多くない。聴くとしてもほとんどモノラル録音なので、鮮明な録音で聴くストラヴィンスキーの自演は新鮮。
ストラヴィンスキーは職業的な指揮者ではなかったようだけど、それなりに指揮活動をこなしていたようだ。『ペトルーシュカ』に関しては、1940年頃のライブ録音を聴いたことがある。

ストラヴィンスキーは演奏者による脚色を嫌ったそうで、この演奏はその考え方を地で行っている。だから、「この場面で、作曲者はこんな響きをイメージしていたのか!」というような発見や驚きはない。

気づきがあるとしたら、むしろ逆の方向に、『ペトルーシュカ』は演奏者による味付け無しで鑑賞に足る音楽として成立するように作られている、ということ。
この自作自演集のすべての演奏から同じ印象を受けるわけではない。



録音のせいもあるのだろうが、色彩を感じさせない乾いたサウンドで、各パートの輪郭がはっきりとしている。このオーケストラのさばき具合はなかなかのものだと思う。録音当時のストラヴィンスキーは70代後半だけど、もたつくことはないし、そのかわりに老境の滋味みたいな感触もない。

オーケストラを巧みに操って無彩色で均質なサウンドを引き出している、という感じではない。オーケストラに余計なことをさせない、というところか。
その気になれば色鮮やかな響きを生み出せるけれど、主義として無造作風に演奏しているのか、そもそもオーケストラを色鮮やかに響かせる腕を持ち合わせていないのか?微妙なところ。

いずれにしても、『ペトルーシュカ』1947年版に関して言うと、乾いた無機的なタッチはマイナスではない。これというような物足りなさはないし、派手に飾り立てられた演奏の後に聴くと、新鮮に聴こえるかもしれない。


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ストラヴィンスキー 『ペトルーシュカ』 ブーレーズ / クリーヴランド管弦楽団

  1. 2012/10/18(木) 16:38:00|
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1991年のセッション録音。

精緻な『ペトルーシュカ』の演奏というだけなら、珍しいものではないと思うけれど、この演奏では精緻であることが洗練された美しさに昇華されていて、演奏芸術としての格の違いを感じさせる。
いろいろな特徴のひとつに精緻さがあるというのではなく、精緻さが極められたところにのみ成立する美学、とでもいうようなものを思わせる。

すべてのパートはほとんど均等なバランスで鳴らされていて、アンサンブルは透けるように明晰。滑らかに研磨された水晶のようなサウンド。フレージングやリズムの刻みは柔らかくて、まったくひっかかることなく、清水のように流れていく。広がりのあるステージで音たちによる美しくて巧みな群舞が繰り広げられる。
だからといって、華奢ということではない。盛り上がる場面でも音が熱を帯びることはないけれど、力感とか量感は必要にして十分。

ある種の芸の境地に到達している感があって、好き嫌いを超えて、ありがたく聴くしかないような気がする。
といいながら、突き詰められた洗練が最善の結果に至るとは限らない、とも思う。

精緻であることが、楽曲の書法を浮き彫りにするための手段というより意匠になっているわけで、おまけに洗練を極めているものだから、浮き彫りにすることを通り越して偏向に至っている、と思う。
乾いた質感や、グロテスクさ、騒々しさといった、一見して心地よくない要素だって、『ペトルーシュカ』にはあると思うのだ。

演奏家が個性を発揮すればそれだけ偏りが生じて、楽曲の特性のあるものが強調され、あるものが弱められるということは、演奏芸術では当たり前のことだろう。
要は程度の問題で、この演奏では、精緻で柔軟でクリスタルな美しさ、という得難い魅力の代償にしても、ずいぶんいろいろな要素が削ぎ落とされているような気がする。

あとは、この演奏ならではの希少な美点と、失われたものの価値との比較衡量次第でしょう。


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