チャイコフスキー 交響曲第6番『悲愴』 チェリビダッケ / ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

  1. 2013/02/10(日) 22:39:25|
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1992年のライブ録音。



ホール内の空気を目一杯揺るがすような、量感たっぷりの物量型『悲愴』交響曲。
その発想に、チェリビダッケがフルトヴェングラーに連なる存在であることを認識させられる。
もっとも、これだけ巨大な響きを濁らせない"耳"の良さは、チェリビダッケならではか。

現実にどっぷりとした音響の中に身を置いてみないと、その真価を実感することは難しいのだろう。録音の音質は十分に優れているけれど、2チャンネルの再生環境で鑑賞するときは、想像で補う必要がありそう。



この演奏の非凡さは、巨大な音響をこれでもかとうねらせながら、ダブつかせることも濁らせることもなく、それどころか一貫して鮮度の高い表情を保っているところにある、と思う。

熟成を感じさせる個性的で洗練された演奏様式、それを現実の音として聴かせられる能力とか技量。そのいずれもが非凡。



こういう演奏は敬聴するしかないのだけれど、気になるところが無いわけではない。

豊麗な音響に対する意識がかなり強く感じられて、聴きようによっては、表面的な効果狙いと感じられる場面がちょいちょいある。
どこまで楽曲の生理に則った表現になっているのか。

また、チェリビダッケは巨大な音響を完全に制御しているけれど、量感たっぷりな音響ゆえの、のっぺりとして平坦な質感からは逃れられていない、ように感じる。
そのために、音楽が分かりやすくなっているとも、陰影乏しくなっているとも感じられる。
もっとも、聴き手がどこまでの精妙さや陰影を求めるのか、によるのだろう。



演奏のコンセプトがわりと極端な方向を向いているわけで、そのぶん聴き手を選びそう。
仮にこのノリに共鳴できないとしても、かつてチェリビダッケというすごい指揮者がいた、という事実を否定することはできない、と思う。

チャイコフスキー 交響曲第6番『悲愴』 クレツキ / フィルハーモニア管弦楽団

  1. 2012/11/18(日) 14:09:43|
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1960年のセッション録音。EMIによる録音をmedici MASTERSが正規ライセンス復刻。
この盤の音質は驚異的に良い。最新技術で修復された旧い名画を観るような。
不自然なくらいにいい音なので、いろいろと手が入っているのだろうけれど、聴いていて不自然さを覚えることはない。



構成とか書法の描き出し方は明解。たとえばテンポの変化はそれなりにあって、即物的な感触はないけれど、フォルムを歪めたりテクスチュアを曇らせるようなことはない。

オーケストラを明晰に鳴らすクレツキの手腕は素晴らしい。透明に磨き上げるとかの高踏的な美意識より、あるがままを平明かつ明解に聴かせる風なのだけど、この聴き古した交響曲の多彩な響きにハッとさせられるくらいに鮮やか。

第一楽章の中間部や第三楽章などの激しい場面では、サウンドの物理的な力で攻めるより、多様な音のひとつひとつを力強く、切れ味よく駆動して、壮快に掻き鳴らす。冴えたオーケストラ・ドライブ。



構成・書法を明解に知的に聴かせながら、各パートの鳴らし方はときに情熱的に、ときにウェットで濃やかに。すみずみまで明解に聴かせながら、かつすべての音をしっとりと色づかせる。

知的にコントロールされているけれど、そういうアプローチでもって情熱的に演奏している。そこのところのバランス感覚は独特で、うまく言葉にできない。
そして、内に渦巻くものの力は大きい。

ことに第四楽章中間部の弦の歌わせ方にはしびれた。切れ味のあるキリリとしたフレージングながら、艶のある深い音と振れ幅の大きな歌いっぷりで、彫りの深い表情と、息を飲むくらいの激しい迸りを聴かせる。

濃厚な情念の息苦しさや身振りの大きな演技抜きで『悲愴』交響曲のポテンシャルを味わいたい、というわたしにはピッタリの音盤と思う。