ベートーヴェン 交響曲第6番ヘ長調 「田園」 ワルター / コロンビア響

  1. 2010/12/31(金) 02:53:51|
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1958年のステレオ録音。

高音パート主体のすっきりとした音響、鮮明なアンサンブル、ニュアンス豊かなこと。この演奏に限った特徴ではないけれど、情報量の多いステレオ録音のおかげでいっそう鮮やかに感じられる。

同時代の指揮者たちと比較すると、音響面では軽量級。しかし、オリジナル楽器演奏を知る世代の聞き手なら、そのことが即不満につながることはない、と思う。

第1楽章、第2楽章では、繊細・美麗を極めた名人芸を堪能できる。機能的な意味での緻密さとは一線を画している。1音1音のニュアンスとか、それらの重なり方とか、すみずみまでワルターの審美眼を通して磨かれている。そして、現実の音とすべくコントロールされている。
こだわりつくしているけれど、マニアックな偏向は見当たらず、自然で伸びやかに聴こえる。

これは田園交響曲の1つの完成形だ、と感服しながら聴いた。第4楽章に入るまでは・・・

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全曲を通して、ワルターの意識はキレイで端整なサウンドとアンサンブルに向かっていて、彼のもくろみは比類のないレベルで実現されていると思う。
そのアプローチは前半では吉と出ているが、第4楽章・第5楽章では事情が変わってくる。

厚みとスケールはそりなりにはある。しかし、端整な美しさを保つための軽いリズムや芯のないフレージングが、この2つの楽章に不可欠な覇気とか素朴な生命感を損なっているように聞こえる。

第4楽章は「雷雨と嵐」であって「火山大噴火」とかではないから、爆発的な盛り上がりはなくともいい。でも、これは安全運転に過ぎないだろうか。この程度の嵐なら、過ぎ去った後に晴れやかな喜びはわいてきそうにない。

そういう意味で、はじけない第5楽章は一貫性があると言えるのか?
その歌心と、キレイで端整なサウンド&アンサンブルは、至芸と呼びたくなるほどに洗練されている。しかし、端麗さへの志向が勝っていて、聴くうちに思わず体がリズムを刻んでしまうような生命感は乏しい。
勝手な思い入れといわれたらそれまでだけど、そういう種類の活き活きとした感覚は、この楽章にぜひとも欲しい。

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注文をつけさせてもらったけれど、これはワルターの匠の芸を伝えてくれるすばらしい記録と思う。これほどに洗練された音楽は滅多に聴けるものではない、と思う。
ただ、この交響曲のすべてを盛り込むには、ワルターの様式美の器は少し小さかったのかもしれない。曲が凄いんだけどね。

ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱付き」 ワインガルトナー / ウィーン・フィル

  1. 2010/12/05(日) 21:08:35|
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1935年の録音。

とてつもなく古い録音にしては、アンサンブルの様子や雰囲気は伝わってくる(それが実像に近いかはともかく・・・)。しかし、第4楽章の合唱が加わってからは、いかにも心もとない。聴き続けることを止めたくなるほどではないものの、聴いたことだけでワインガルトナーの第九を受け止められた気はしない。

全体を通して言えそうなのは、この演奏は一大スペクタクルとしては第九を捉えていない。いつも通り合奏(のちに歌が加わるけれど)の中で音楽の面白さを表現しようとしている。
ワインガルトナーを知らない人が(わたし自身、こういう言い方をできるほど知っているわけではないけれど)、気合を込めて聴き始めたら、落ち着いた道行きに肩透かしを食らうだろう。

古い録音ゆえ音の透明度みたいなものはわからないけれど、内声部は明解に聞き取れる。特定のパートが大きな音を出して他のパートを塗りつぶすことを、原則としてやっていないようだ。だから、爆音効果や疾走するテンポ感などの派手な演出とは無縁。

この演奏を楽しむなら、録音の古さをかいくぐって、アンサンブルに耳を澄ますしかない。しかし、ここまで古い録音だとそれはけっこう面倒なことで、ワインガルトナーの音楽性にシンパシーを感じられる聴き手でなければ、根気が続かないかもしれない。

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上に書いたとおりアンサンブルは明解で、均整のとれた端正なサウンド。とは言え、各パートの響きは豊かで伸びやかだし(ウィーン・フィルだから?)、柔らかいけれどコクと広がりのある低音のおかげで、弱弱しさとか薄さは感じられない(再生環境によりそうだけど)。
劇的効果という観点から聴くと穏当に聞こえるが、アンサンブルとしてはコクがあるというか、まろやかに濃厚なテイスト。

リズムはエネルギッシュに刻まれるけれど、ワインガルトナーは生々しさや機械的な感じを嫌って、曲線を描くようにはずませたり、間合いを変化させたりする。
よく言えば優雅に、悪く言えば角の取れた感じに聞こえるが、ロマンティックな表現を志向しているのではなく、趣味というか体に染み付いた所作みたいな感じ。
このあたりは好き好きだろけれど、そんなにしつこい感じはない。

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第1楽章は意外と小刻みにテンポが変化する。曲調の変化にあわせて小幅に変化させている。上に書いたワインガルトナー特有のリズム感覚のせいだろうか。
小さな変化なので楽章としてのプロポーションがゆがむ感じはない。しかし、流動感が強まって、対位法的な立体感は後退しているように聞こえる。
クライマックスでの鳴らし方は独特。柔らかく広がって演奏空間を包み込む低音部、量感を加えるだけで威圧しない打楽器、毅然とした表情を帯びつつも均衡美を崩さないアンサンブル。確固とした美学を感じる。

第2楽章は、ワインガルトナー特有のリズム感覚と柔らかい低音ゆえか(良くも悪くも)攻撃的な感触はないけれど、十分にエネルギッシュ。古い録音を超えてアンサンブルの活発なやり取りが伝わってきて楽しい。

第3楽章は、やや速めのテンポで、スムーズに、しなやかに歌われる。思い入れとか凝った演出はなくて、ただ線の流れをしなやかに、濃やかに聞かせる。個人的に、この楽章ではこういうアプローチを好むので好印象。
新しい録音ならさぞや魅惑的なサウンドを楽しめただろうに・・・と思わないではないけれど、その片鱗を味わうことはできる(ような気がする)。

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第4楽章も淡々と始められ、落ち着いた進行。「歓喜」の主題を反復しながら盛り上がるくだりも熱狂はなく、「厳か」⇒「晴れやか」くらいの展開。物足りないかもしれないが、楽章の構成を考えるとこの部分で熱狂する理由はないかもしれなくて、ワインガルトナーの選択は適当と考えられなくもない。

独唱は鮮明だが、合唱は奥に引っ込んで聞こえる。録音技術の都合なのか、ディテールの鮮度を保つための音楽的な判断によるのか、何とも言えない。いずれにしても、表現の細やかさは保たれる一方、合唱のサウンドとしての圧力は物足りなく感じる。声が空間に響く雰囲気があれば違った風に聞こえるかもだが、1930年代のモノラル録音には期待できそうもない。聞き取れたことだけでワインガルトナーを語るのは無謀な気がしてくる。

歌唱が加わって以降は相応に力強くスケールが広がる。行進曲やコーダは熱気を帯びて雄渾とすら感じる。ワインガルトナーは、(彼が考えるところの)盛り上げるべき箇所ではそうするし、その必要のないくだりで無用に力むことをしていない。

合唱が「歓喜」の主題を高らかに歌って以降は、歌唱陣とオケによってきちんとしたアンサンブルが進行する。いい意味でも悪い意味でも、大編成を頼んだ力任せはない。ドラマティックな起伏を期待すると透かされるけれど、ワインガルトナーのアプローチは一貫している。

前に書いたとおり、コーダは大曲の締めくくりにふさわしくというか、個人的には意外なくらいに激しく盛り上がる。エンジニアが勝手にボリュームをいじったわけではないと思うのだけれど・・・

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この交響曲はもともと4つの楽章のバランスに難があると思うけれど、あまりにスペクタキュラーな方向に走ってしまうと、さらにバランスがおかしくなるし、第1〜3楽章の性格付けが半端になってしまう。また、そうすることで、しばしば晩期ベートーヴェンならではのヴィヴィッドな対位法が損なわれてしまう。

そういう観点からすると、この録音は安心して楽しむことができる。楽曲の持ち味を引き出しつつ、ワインガルトナー自身の趣味とか美意識が無理なく練りこまれていて、味わい深い。これで録音がもう少し新しければ、艶やかで豊かな音響に酔えることと妄想するけれど、言っても仕方のないことだ。

ただし、第4楽章は、上に書いたとおりだが、録音への物足りなさが先にたってしまう。いや、録音が残っていたことに感謝しておけということか・・・