ブルックナー 交響曲第5番 シューリヒト / ウィーン・フィル

  1. 2011/07/30(土) 04:45:00|
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1963年のライブ録音。モノラル録音だが、音質はとても良い。

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シューリヒトの録音では、表現や合奏の精度のゆるさを感じることがままある。やりたいことは伝わってくるけれど、それが100%リアルな音としては聴こえてこない、みたいな。
けれど、これは例外のひとつ。彼のやりたいことが、ストレートに音として伝わってくる。

ウィーン・フィルの持ち味ではなく、ポテンシャルを素晴らしく引き出している、と思う。生演奏ながらペース配分なしで、冒頭から覇気がみなぎっている。いちいち音楽の表情が鮮やかだし、密度が濃くて、切れ味がいい。

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わたしの中には、この交響曲の演奏では、大なり小なり構築性とでもいうようなものを打ち出した方が効果的ではないか、というイメージがある。
が、シューリヒトはすっかりその逆を行ってしまった、ようだ。大胆に音楽を揺さぶって、劇的表現を追求している。劇的表現といっても、楽曲の構成感を利用しての息の長い盛り上げ方ではなくて、場面場面での瞬発力とか思い切りの良さが身上。

案の定、この交響曲の演奏としては、スケールの大きさは感じとりにくい。
モノラル録音なので想像が相当程度入り込むけれど、広がりとか深まりを聴かせるような鳴らし方ではなく、ギュッと中味を凝縮したような密度を感じさせるサウンド。
また、テンポを含めて、音楽の息遣いを自在に変化させるために、楽節がうずたかく組み上がっていくような気配が乏しく、この点でもスケール感にはつながりにくい。

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演奏は冒頭から充実している。
第1楽章は、渋い楽曲をせいぜいドラマティックに演奏している。第2楽章は力強くストレートに歌い上げている。
が、個人的におもしろくなるのは第3楽章から。

第3楽章はわたしにとって少々面白味を欠く楽曲なのだけど、この演奏は楽しい。きびきびとしたテンポで小気味よく、ところによってはスリリングに進行される。変化に富んでいて、力強く活気がある。

第4楽章は、楽曲そのものが多様性を持つだけに、シューリヒトのインスピレーションの奔流がすごい。なかには違和感を覚えるところもあるけれど、次から次へと繰り出される多彩な表現から目を離せない。中間の長いフーガも活き活きとして多彩。
聴こえている音楽が面白くて、理屈はどうでもよくなる、個人的には。

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個性的なアプローチだと思うけれど、大きな音楽を構築していくおもしろさより、個々の表現のおもしろさを優先しているというだけで、作品を根っこから自分の色に染め上げる式の演奏ではない、と思う。
そして、ブルックナーの書法にシューリヒトなりに素直に反応している、と感じられる。
だから、全曲を聴き終えたときに、演奏者の芸だけでなく、作品そのものを味わったという手応えがある。

とはいえ、はじめてこの曲を聴こうという人に勧めるのは躊躇しそう。

ブルックナー 交響曲第5番 チェリビダッケ / ミュンヘン・フィル (東京ライブ)

  1. 2011/07/25(月) 13:23:10|
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1986年、東京でのライブ録音。
残響たっぷりで、実際の演奏を彷彿とさせるような雰囲気がある。チェリビダッケの実演の音を知らないけれど、彼のスタイルを考えると、好ましい録音ではないか。

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ギリギリまで遅いテンポの第二楽章と、畳み掛けられる第三楽章で、音価にどのくらい隔たりがあるのだろう。
少なくとも、一体として構想された楽曲とは受け容れ難いくらいに隔たっている。

楽曲のあり方を探求するという姿勢とは真逆の、チェリビダッケの美学とか創意とか恣意が前面に打ち出された演奏。

彼の美学を全面的に受け入れるなら、これは最高級の演奏だろう。チェリビダッケは、自分の目指していることを高い完成度でやりきっている、と感じる。

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この演奏から感じとれるチェリビダッケの美学を無理に言葉にしてみると・・・

1つめは音響美。
各パートはうっとりとさせられるような美音を奏でる。個人的には、とりわけ金管の透明度にうならされる。
それらがこれまた絶妙にブレンドされてホールいっぱいに悠々とひろがる。巨大で、深々として、仄暗くて、透明。大きさと神秘をまとった独特の音響美。

大きくて、力強い美しさだ。ソロから最強奏に至るまで審美眼に磨かれており、音響美の懐はすこぶる広い。
金管が強奏するような場面は十分に力強いけれど、たっぷりとした響きがを押し包むので、とげとげしくならない。

フレージングとかリズムの刻みとかの奏法においても、美音を損なわず、かといって弱々しく響かないないように細心の注意が払われている。

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そして、磨き上げられた音響美に耽(ふけ)るように演奏は進行される。緩やかな部分も激しい部分も、美しい一瞬の連続として演奏され、聴く者を集中とか没入に誘う。

聴き手の中に、そうした没入、陶酔というような特別な精神状態を作り出し、コンサートというより神秘的な儀式に参列しているかのような強い精神作用をもたらすことが、チェリビダッケの目指すところではないだろうか。
他の指揮者の演奏でも非日常の精神状態に誘われることはあるけれど(というか、好きな演奏では大なり小なりそうなる)、チェリビダッケくらい意識的にそれを実践し、成し遂げている指揮者を他には知らない。怪物だ。

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とはいえ、楽曲そのものと味わう目的にはそぐわないし、この巨大さはハリボテ的な虚ろさと表裏一体かもしれない。
虚飾の大伽藍みたいな。

また、息を飲むような集中が一貫していて、凄みを漂わせつつも、その揺るぎなさが単調さに堕しているかもしれない。少なくとも、全曲を通して"気分"の変化は希薄。

チェリビダッケの偉才を堪能しつつも、演奏芸術のあり方を考えさせられる。

ブルックナー 交響曲第5番 クレンペラー / ウィーン・フィル

  1. 2011/07/20(水) 08:00:00|
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1968年のライブ録音。良好なステレオ録音。

いつからがクレンペラーの晩年なのかはよく分からないけれど、最晩年の彼の持ち味が吉と出た、聴き応えのある演奏。

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足取りは泰然としているが、テンポは標準的。クレンペラーは、ブルックナーの音楽から重層的な音響効果を引き出すことにさほど執心していない。ゆったりテンポでたっぷりとオーケストラを鳴らしてみせる、というようなケレンを感じさせない。
ブルックナーの演奏としては素っ気なく感じやすいタイプのやり方だけど、第5交響曲ではさしてマイナスになっていない、と思う。気になるとしたら第2楽章あたりか?

恰幅よく楽曲の構成を描き出し、それぞれのパートを浮き彫りにしているのは、いつものやり口。行き届いていて表情豊かだけど、繊細感はなくて、武骨で大作り。
この持ち味がブルックナーの音楽の"野人っぽさ"とうまく呼応している、と感じる。

ウィーン・フィルのしなやかで柔軟なアンサンブルが、各パートの線的な動きを明示するクレンペラーのやり方とかみ合って、音楽の陰影を深めている。指揮者の厳めしい持ち味をいい感じに中和している。

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この演奏が威容を表すのは第4楽章。

第1楽章から充実しているけれど、細部に若干のゆるさを感じる。老巨匠のアウェイでの指揮としては許容範囲内だけど、このまま終わっていたら、記録としての価値に止まっていたかもしれない。

しかし、第4楽章に入ると、さりげなく(?)空気が変わる。

オーケストラの入れ込み方がグッと強くなる。演奏の精度が増して、音楽全体もディテールもグンと雄弁になる。どっしりとしているけれど、リズムは活き活きと刻まれ、音楽の流れは息づいている。

展開部のフーガの彫りの深い表現と立体感はクレンペラーの真骨頂。無造作風だけど、音楽は多彩に色合いを変えながら進行する。ウィーン・フィルのサウンドが彩りを添えている。

再現部からコーダまでの展開もすばらしい。
ここのところは盛り上げるためにかなり凝った造りになっていて、多くの演奏でそれを意識させられるのだけど(一概にそれがダメというわけではないけれど)、クレンペラーの無造作風アプローチはいい意味で例外。
あまりテンポを動かさないで力強くリズムを刻みつつ、コーダに向けて直線的に盛り上げていく。その一方で、はやることなく、めまぐるしく変化する表情を浮き彫りにしていく。そのバランスがとてもいい。テンポもいい。音楽は自然な流れ中で、増殖し拡大していく、ように聴こえる。

スケールの大きな演奏は他にもあるけれど、クレンペラーのは一味違う。壮大な音響を構築しているというより、もともと大柄で骨太な音楽をやる人が、自然体で生み出す大きさ。重厚に躍動している。

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いろいろ書いたけれど、クレンペラーとしては概ねいつものやり方。
第5交響曲は古臭い対位法的手法をフィーチャーした作品なので、ロマン派風バロック演奏の大家クレンペラーとの相性がいいということだろう。

ブルックナー 交響曲第5番 フルトヴェングラー / ベルリン・フィル

  1. 2011/07/11(月) 22:16:31|
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1942年のライブ録音。
テスタメント盤を聴いたが、録音年代からすると驚異的な好録音。みずみずしいサウンドで、大変に聴きやすい。が、角が丸くなっているような気がしないでもない。しっとり感はレーベルによる味付けと思われる。


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壮大趣味とか大河ドラマ風の演出は聴かれない。
フルトヴェングラーはここでもテンポの加減速をやっているけれど、変化は穏健だし、基調としてはきびきびした足取り。引き締まったブルックナー。

作品構成が常に明瞭に提示され、その上で音のドラマを繰り広げていく。ディテールを拡大するかのような濃い演奏や、音響美で訴求してくる演奏などとは対極にある。

この指揮者なりに、作品自体に語らせようとしているようだ。推進力の強さに指揮者の意志を感じるものの、誇張とか強引さを感じない。他の指揮者と比較してしまうと、フルトヴェングラーの個性は瞭然としているけれど、彼なりの一途な誠実さを感じる。

だからどう、ということはないけれど、これまではフルトヴェングラーの指揮から強烈なエンターテイメント臭を感じることが多かった。一方、この演奏はどことなくきまじめな感じがする。ひょっとしたら、わたしは彼の一面を見過ごしていたのかも・・・

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ブルックナーを音響の大伽藍のように響かせるタイプの演奏と比較すると、スケール感は乏しいかもしれない。
また、小気味よく進行されるので、あっさりとしたディテールの扱いを物足りなく感じるかもしれない。

そうだとしても、それはフルトヴェングラーの力量の過不足ではなく、作品観によるところだろう。
ディテールに凝っている演奏だと作品構成が茫洋と聴こえがちだが、この演奏は構成がすっきりと見通せて、かつ4つの楽章のバランスが良い。
これらは、フルトヴェングラーのアプローチならではの成果と感じられるし、交響曲演奏としてオーソドックスだと思う。

わたしにとってすっかり好みのアプローチとは言えないけれど、こういう行き方はありだと思う。


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というわけで、概ね肯定的に聴いたけれど、不満がないわけではない。

第一楽章については、オーケストラがまだあたたまりきっていないみたい。後の楽章に比べて、金管の切れ味がもうひとつ。これは贅沢な不満だけど。

それから第四楽章。フルトヴェングラーは、この演奏に限らず、メインのパートをクローズアップするように響かせる。そうすることによって、わかりやすくメリハリの効いた表情を作りだす。

展開部のフーガは、わかりすく小気味よいかわりに、立体感とか彫りの深さを感じにくい。
また、終盤のクライマックスでは金管の強奏が迫力満点だけど、金管が前に出すぎて、十分に多彩な表現とは聴こえない。

そんなこんなで、聴きやすくて盛り上がるのだけど、立体感とか重層感みたいな感じが乏しいために、ちょっと軽く聴こえてしまう(サウンドは軽くないけれど、表現として・・・)。
個人的に、立体感とか重層感というような効果を、ブルックナーはこの交響曲で狙っていると思うので、この点については楽曲のポテンシャルを十全に引き出せていない、というのがわたしの受け止め方。

この傾向はこの楽章に限らないのだけど、強く意識させられたのが第四楽章。

わかりやすい鳴らし方の功罪は、この演奏に限らず、フルトヴェングラーの演奏を聴くときにしばしば感じることだけど。

ベートーヴェン 交響曲第5番『運命』 デ・サバタ / ニューヨーク・フィルハーモニック

  1. 2011/07/05(火) 12:18:49|
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1950年のライブ録音。モノラル録音。なかなか鮮明で、擬似ステレオっぽい効果が付加されている。わたしは聴きやすく感じたが、ソースに対する忠実度は不明。
併録されているレスピーギの交響詩『ローマの松』で録音レベルが乱れるのは残念。



好みがドイツ系の音楽に偏っているので、イタリア人指揮者の印象であっても、ドイツ系のレパートリーから判断してしまう。そんな聴き方なので、彼らの本質を理解できていないと思う。

それはそれとして、わたしはデ・サバタをすごい指揮者と考えている。
その音楽は力強くて、しなやかで、色彩的で、奔放。感性の命ずるままに大胆に表現しているようなのだけど、やっていることがそのまま演奏の魅力になっていて、かつ演奏者の作為を微塵も感じさせない。統率力を云々する次元を超越して、オーケストラを息づかせている。
こういう芸当ができる指揮者というと、今思い浮かぶのはカルロス・クライバーくらいか。 聴いた録音の数は少ないし、条件のよくないモノラル録音ばかりなので、思い込みはあると思うけれど。
この『運命』も然り。ニューヨーク・フィルハーモニックの馬力が加わって、気合ののった力強い表現だけど、艶としなやかさがあって、カッコいい!

イタリア人指揮者によるドイツ系音楽の演奏というと、様式美やサウンドの美しさを重んずるあまり、楽曲の表情変化の生々しさがスポイルされがち、との印象がある。そこに不満と違和感を覚えることが多いのだけれど、デ・サバタの演奏は別。 それだけパレットの色数が多いのだろう。
古い録音からでもサウンドの艶は伝わってくる。が、デ・サバタの懐は深くて、音楽は生々しさはまったく損なわれていない、と思う。

深刻ぶった表現や壮大趣味はない。『運命』の演奏としては賛否が分かれるのかもしれない。



レスピーギの交響詩『ローマの松』が併録されている。 力強い場面での輝かしさ、迫力、きらびやかな色彩感は当然として、この演奏の好きなところは、落ち着いた場面での雄弁な表情。ニュアンスに溢れ、陰影に富んでいる。幻想的な情景の中に誘われるよう。