オケゲム Missa De Plus En Plus スコラ・ディスカントゥス

  1. 2011/08/28(日) 18:32:40|
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わたしの中で、西洋音楽史の中心にいるのが、ヨハンネス・オケゲム。何となくそんな気がするだけ、なんだけど。
オケゲムは15世紀の作曲家。ルネサンスの時代。デュファイ、オケゲム、ジョスカンと立て続けに輩出したルネサンス期前半は、西欧音楽史上のクライマックスのひとつだと思うのだけど、これもそんな気がするだけで、理路整然とした説明はできない。

ルネサンス期の大規模な音楽というと、やっぱり宗教音楽。特にルネサンス期前半はミサ曲。わたしは無宗教だけど、そんな者にとって、ミサ曲は比較的取り付きやすい。原則5つの楽章からできていて、各楽章の意味合いは固定されている。交響曲を聴くのと同じようなノリで聴いている。

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本格的にオケゲムに開眼させてくれたのが、この録音。

1996年の録音なので、わたしにとってはかなり新しい録音だけど、素人っぽい癖の強い録音。教会におけるアカペラ演奏だけど、残響がすごい。大浴場での録音かと疑いたくなるほど。でも、実際の音響がこんな感じなのだろう。オーディオ的に聴きやすくするための加工を施していない、ということなのだろう、好意的にとると。

男女混声のアカペラだけど、録音の特性もあって、4つの声部は一体として響く。ゆったりとしたテンポでなめらかに流れていく。メリハリはちゃんとあるけれど、控えめ。
録音に難があるし、特別にうまい演奏とは感じられない。人には勧めない。演奏のコンセプトがわたし好みなのだ。
録音のせいもあって、各声部の響きはかなりブレンドされていて、一体となって息づき、しなやかに、伸びやかに流れていく。この加減が好みに合う。それはスッキリ感と豊かさのバランスにもつながる。

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オケゲムは長命な作曲家で、作風を何度か変えたのだけど、Missa De Plus En Plusは中期の傑作。

各声部が息の長いフレーズを歌い、それらがまったく均等なバランスでポリフォニーを織り成していく。フレーズは水紋のように干渉しあいながらどこまでも広がっていく。優美で伸びやか。
ルネサンス期のポリフォニーの中では書法としてもサウンドの面でもスッキリしている方だけど、密度が高くて研ぎ澄まされていて、音楽は刻々とニュアンスを変えていく。

無限旋律チックな様式なので、慣れないととりとめなく聴こえる危険がある。そして、辞書に書かれているとおりの純然たるポリフォニー。現代においては聴き手を選ぶ音楽と思う。それだけに、愛好者にはとっておきの愉悦。

前半〜中盤にあたるキリエ、グローリア、クレドが好きだけど、何といってもグローリアがお気に入り。信仰心ゼロ、歌詞を見ないで聴くのだけど、聴いていて胸に迫ってくる。しかも、8分少々という短い時間の中に、胸キュン・ポイント(あるいは奇跡の瞬間)が2つもある。神がかっている、この音楽は。


ベートーヴェン 交響曲第5番『運命』 テンシュテット / ロンドン・フィル

  1. 2011/08/28(日) 08:21:30|
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1990年のライブ録音。
録音が雰囲気を正しく伝えているとしたら、残響の多いホールでの、人員増強されたオーケストラによる演奏のようだ。過剰なまでの低音の量感。ホール内に音が充満している感じ。
そのために、この交響曲が大柄に膨れ上がって聴こえる。巨大で低重心のサウンドは迫力満点で、スペクタクルとしてはおもしろいのかもしれないが、わたしにはハリボテっぽく聴こえる。
この録音のような音響がテンシュテットの趣味なのかはわからない。演奏者は、会場の音響特性という与えられた条件の中でベストを尽くすしかない、のだろうから。

なお、ディテールの表現はよく聴き取れる。こういうサウンドに対する好き嫌いは別して、音楽を楽しむには十分な録音。



脂肪太り気味の音響を脇に置くと、作品解釈はオーソドックスな方向で、なかなかに洗練されている、と感じる。独特の音響ゆえに音楽は膨張気味だけど、テンポ設定、音楽のフォルム、各パートのバランスなどは自然に感じられる。

個々のパートはしなやかで柔らかみがあって、角張った音を出さない。盛り上がる場面でも、無理な強奏をさせていない。 そして、それらがほど良くブレンドされて、ウェットでロマンティックな味わいを醸している。甘口で、各パートが肉弾相打つような激しさ、厳しさは乏しい。
とはいえ、スケールの大きさと圧倒的な量感ゆえに、柔弱さは感じられない。大柄でドラマティックな枠組みに、ロマンティックな表情が相まっている感じ。後期ロマン派風ベートーヴェン像のひとつの形、と言えそう。

ロンドン・フィルは、華のあるアンサンブルではないけれど、技術的に安定しているし、手堅く着実にテンシュテットの要求に応えている感じ。

比較的新しい録音で後期ロマン派風ベートーヴェンを聴きたいとなれば、有力な選択肢の一つになるのかもしれない。
しかし、過去の真性後期ロマン派風ベートーヴェン像と比較すると、作品解釈は常套的で、表現は甘口に聴こえる。まあ、後期ロマン派風ベートーヴェン像は、ある意味ドーピングされたベートーヴェン像だから、辛口だったら正統ということではないけれど。


ベートーヴェン 交響曲第5番『運命』 オーマンディ / フィラデルフィア管

  1. 2011/08/21(日) 16:30:59|
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1966年のスタジオ録音。
オーマンディは1960年代にベートーヴェンの交響曲を全曲録音している。そのうちの1つ。 彼のSony Classicalへの録音からは、明解だが平板で高音に癖がある、という印象をしばしば受ける。とはいえ、1966年頃になると奥行感が出ていて聴きやすくなる。



オーマンディには揺るぎない音楽観があって、この交響曲にも遠慮なくその公式を当てはめている。
ほどほどの厚みと量感を持つ、華やかで色彩的なサウンド。スムーズなフレージングに、快適なリズム感。軽快で俊敏に運動し、明るくて伸びやかに響き、粘らず濁らない。それらを実現する高精度なアンサンブル。
結果として、この交響曲から感情のドラマらしき性格を完全に消し去ってしまった。

オーマンディは「この場面でベートーヴェンはどんなサウンドをイメージしていたのか?」「ベートーヴェンの目指す効果を現代において実践するには、どうしたらいいのか?」みたいな問題意識をまるで感じさせない。そういう方面で洞察を巡らせたり想像を膨らませることはなく、目の前にある楽譜を淡々と着々と自分の流儀で実体化させていく(ときには楽譜に加筆していたようだけど)。

踏み込みの浅い演奏ということはできるけれど、演奏者と楽曲との距離感としての1つのあり方とも言える。この交響曲での明朗でカラフルな響きには激しく賛否が分かれそうだけど、その単純な表層を剥ぎ取ってしまうと、その奥にはニュートラルな作品像がある。純粋な音の運動性とか音色の変化とか作品構成が滅多にないくらいに明快に顕れている。

踏み込まないからこその、ニュートラルな明快さ。そんなものが成立するのは、オーマンディの精緻で明解な読みとオーケストラ捌きがあればこそだろう。

ベートーヴェン 交響曲第7番 テンシュテット / ロンドン・フィル

  1. 2011/08/17(水) 20:22:03|
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1989年のライブ録音。BBC LEGENDS盤。ディテールの鮮度はそこそこだけど、雰囲気がよく伝わってくる音質。



熱演寄りのバランス指向、というあたりだろうか。時代考証的なことを無視できれば、この作品の標準として通用しそうなくらいに、行き届いた演奏だと思う。

テンポはほど良く、フォルムは整っている。味付けとか誇張は見当たらない。
技術的にも表現の面でも全曲通して安定している。終楽章では、必要充分な興奮をもたらしてくれるけど、崩れた感じ、力づくな感じはまったくしない。

弦主体だけど、各パートはバランス良く聴こえてくる。とはいえ、分離の良い端整なアンサンブルを狙っているようではなさそう。個々のパートをウェットかつ甘口に鳴らさせて、各声部の音を積極的にブレンドさせている感じ。
その結果、響きの全体としては重層的で仄暗い。録音とかホールの音響特性の影響もあるだろうけれど。



「この演奏でなければ!」と言いたくなるような強い引きは弱いかもしれない。オーケストラの持ち味は渋いし。
しかし、1950〜60年代頃の本場物の演奏にあった芯の強さを残しつつも、今風に耳当たり良く仕上げられたベートーヴェンという意味で、よくできた演奏様式だと思う。

マーラー 交響曲第8番 クーベリック / バイエルン放送交響楽団 他 (ライブ)

  1. 2011/08/13(土) 00:38:51|
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1970年のライブ録音。良好なステレオ録音。細部までよく聴き取れる。

スタジオ録音直前の生演奏で、会場も演奏の顔ぶれも同じらしい。あいにくスタジオ録音を聴いていないので、内容を比較できない。

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対位法的といわれるオーケストレーションの線の動きの一つ一つを、明解に鳴らし分け、それらが織りなす綾によって音楽を形作っている。単に細かい音がよく聴こえるだけでなく、音の連なりである線の1本1本が均等に近いバランスで浮かび上がり、織り上げられていく。

線の動きをくっきりと鳴らし分けるために、個々のパートは禁欲的なまでにコントロールされている。透明なサウンドという感じではないけれど、どのパートも色付けを感じさせない細身の響きで、動きは機敏かつしなやか。

独唱の声の輪郭が明瞭なのも、クーベリックの狙いの表れだろう。この交響曲でありがちな、音響の海の中で一所懸命に声を張り上げているという風情はない。独唱者たちはゆとりを持って歌唱し、声のアンサンブルを繰り広げている。そのぶん、演奏の密度が上がっている。

この作品でカオスの原因になりがちな合唱も、厳格にコントロールされていて、他のパートを威圧することはない。管弦楽と対等くらいのボリュームが維持されていて、一体となって緊密にアンサンブルを作っている。

音楽が最高潮に達したその瞬間でも、クーベリックの精緻なバランスは崩れない。各々の音の線はその輪郭を保ったままで、高揚している。
空前の大編成を誇るこの交響曲の生演奏において、この手腕は凄いのではないだろうか。

そして、全体によくコントロールされた演奏でありながら、作り物っぽさや堅苦しさを感じさせない。

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演奏のメイン・コンセプトが、マーラーの音楽的書法を精細に具現化するという生真面目さなので、ざっくばらんなサービス精神(突き抜けてパワフルであったり、うっとりするほどに甘やかであったり、華々しさでわくわくさせる、というような)は乏しいかもしれない。

が、淡々とあるいは堅苦しく演奏されているわけではなく、クーベリックの流儀の中で、感覚的な愉悦が演出されている。
しなやかで歯切れの良い推進力が全編に働いている。とかく威圧的になりがちな第一部は壮快な仕上がり。
第二部は、他と比べるとあっさり風味だが、盛り上がる部分では気迫を感じさせるし、しなやかで敏捷なアンサンブルは気持ちが良い。特に、複数の旋律線がときに俊敏に、ときにしなやかに舞いながら、呼応し合い連携するさまは、最大の聴きどころではないだろうか。

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作品理解の面でも演奏技術の面でも練られた演奏と思うのだけど、好み通り!とはいかない。

マーラーの対位法は、昔ながらの対位法、つまり多声が純然と独立性を保って進行するような対位法とは違う、と思う。マーラーの場合は、親しみやすいメロディ・ラインが基本にあって、それを限界まで修飾したり崩したりするための対位法的オーケストレーションではないだろうか。
そういう聴き方をすると、クーベリックのさばき方は古典的に過ぎるように感じられる。多声の線の1本1本をすっかり解きほぐしてしまうので、サウンドとしても音楽の表情としても妙にすっきりとしてしまう。マーラーの音楽でしばしば感じられる、仕組まれた過剰さ・不安定さ・混乱の妙味、とでもいうようなものを感じとりにくい。

クーベリックは各パートをすっきりと鳴らさせて、そのサウンドは無彩色で細身。
おかげで多声の線の動きは鮮明になっているけれど、サウンドの色彩感による官能は乏しくなっている。
また、第二部のフィナーレでは、必要十分の盛り上がりを聴かせるけれど、お行儀が良すぎることと、音楽の骨格までが細身に感じられる瞬間があって、我を忘れるほどの高揚はない、と感じた。実際に客席にいたら、違う風に感じたかもしれないが・・・

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わたしの印象としては、この交響曲、特に三分の二ほどを占める第二部の音楽は、いたって通俗的。人気指揮者でもあったマーラーが、聴衆を魅了し盛り上げるべく、腕によりをかけた演奏効果抜群の音楽、と思う。
そういう立場から聴くと、クーベリックのアプローチはきまじめで、上品すぎるかもしれない。

しかし、そのきまじめさとか品の良さがこの演奏の得がたい魅力でもある。一見自然体風の演奏だけど、聴くたびにクーベリックの匠の技を新たに発見する、という具合。
作品に対して一途にまじめで、表現としてよく練られていて、おまけに高い技量に裏打ちされている。とにかくこれは良い演奏だ、と思う。

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