ブラームス 交響曲第1番 フルトヴェングラー / 北西ドイツ放送交響楽団

  1. 2011/09/30(金) 07:00:00|
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1951年のライブ録音。 Spectrum Sound盤を聴いた。やや硬い音だけど(実態を反映した音なのかもしれないが)、録音年代を考えると情報量は十分以上で、音の見通しは良い。他のレーベルとの音質比較はできない。



演奏は重厚激烈そのもの。

第一楽章の序奏でいきなりの大スペクタル。その後の展開も重く激しくシリアス。決して乱暴ではなく、険しく彫りが深い。伝わってくる気迫と集中はただごとではない。テンポの加減速は控えめで、全体を通してはガッチリと揺るがない手応えがある。緩急自在に盛り上げるより、手練手管を抑えて正面からぶつかっていくような。そうした印象は最後まで一貫している。

第二、三楽章では、個人的には違和感を覚えた。フルトヴェングラーは息苦しいまでに分厚い低音をベースに、もっぱら肉厚な音をオーケストラから引き出している。そのために、ブラームスの室内楽っぽい意味で洗練された書法が圧殺されている。中間の2つの楽章でそれを意識させられた。

この交響曲の第二楽章は主題も弱ければ展開も弱い。大掛かりな第一楽章の後にしては、チキンな楽曲だ。それを輝かせるのがよく練られた親密なアンサンブルの魅力のはず。フルトヴェングラーはフレーズを魅力的につなげていくことにかけては抜群のセンスの持ち主。この演奏でもその力は発揮されている。息深く歌って、ごく自然に大きな起伏を生み出している。やっていることそのものは非凡だ。
しかしもっぱら重く厚く濃く鳴らすので、アンサンブルが音塊のようになって、線の流れとかそれらによる綾が聴こえてこない。 この演奏で聴く第二楽章は、フルトヴェングラーの表現力中心に聴くと見事なものだが、理不尽に息苦しく、晦渋で色彩を欠く音楽になっている。

第三楽章は動的かつ簡潔な音楽なので、多少の違和感があってもすんなりと聴けてしまう。とはいえ、やっぱりブラームスが施した精妙な書法が厚い響きに被われて鈍化している。優雅であろうとするのだけど武骨にしか振る舞えない、みたいな音楽になっている。

第四楽章の音楽は変化に富んでいるが、フルトヴェングラーは手練手管を弄せず正面突破の構え。息苦しいくらいに硬派な面持ちで、一途に突き進んでいく。息詰まるような迫力はすさまじい。しかし、剛直な馬力の裏返しとして音のドラマとしての感興は乏く感じられる。また、フルトヴェングラーの作品解釈は筋肉崇拝的な発想が強すぎるために、細やかなテクスチュアが圧し潰されている。 徹底されていることが、強みでもあるし、弱みにもなっているような・・・



北西ドイツ放送交響楽団は、北ドイツ放送交響楽団の前身だそうで、1945年創設というから、出来て間もない時期の録音。技術的にも馬力の面でも不足を感じない。骨太で切れ味がよく、そして安定している。フルトヴェングラーをよく聴く方ではないので自信はないけれど、指揮者の要求をしっかりと受け止めているように聴こえる。

ブラームス 交響曲第1番 ザンデルリンク / ドレスデン・シュターツカペレ

  1. 2011/09/26(月) 08:00:00|
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1971年のスタジオ録音。ちょっと音の抜けが鈍いようにも聴こえる。低弦がかなり厚い演奏なので、この音質だと、再生する環境によって印象が大きく変わるかもしれない。というか、わたしは試行錯誤させられた。 ただし、個々のパートの表情はよく伝わってくるから、クォリティはちゃんとしているのかも。



量感のあふれる低弦、ドレスデン・シュターツカぺレの燻んだサウンド、じっくりと進む足取りなどを聴くと、ありがちなローカル色の強い巨匠風の演奏か、と決めつけてしまいそうになった。 でも、聴き進むうちに認識が変わってきた。それだけで言い尽くせるような演奏ではなさそう。

テンポの設定、リズム感とか旋律の歌わせ方とか、演奏の基本設定のすべてが、作品の構造を顕すことに向かっている。ザンデルリンクは、音響構造体としてのこの交響曲のあり方を聴き手に示すことを強く意図しているようだ。

音楽の枠組みは堅固で揺るぎない。ゆとりのあるテンポにリズムは軽快かつ正確で、前のめりなることも停滞することもない。
フレージングは歯切れよくしなやかなで几帳面。気分に任せたり粘って進行を乱すことがない。
そうしたもろもろが相まって、歪みのない枠組みの中に、音楽は整然と区画整理され、音の配置はピンポイントでピタリと決まっていている。



個々の音の動きは軽快・しなやかで、また他のパートを侵食しないよう注意深く鳴らされるから(たとえばティンパニなんかも、締まった音で小気味よく鳴らさせている)、ダイナミックあるいはドラマティックとは言い難い。
このままでは退屈な演奏になりそうだが、フレージングのしなやかさやリズムの軽快感を積極的に活かして、ディテールに精彩を施している。カラフルな色づかいではないけれど、手の込んだ刺繍模様のように念入り。
ここで、名門ドレスデン・シュターツカぺレの起用が効いてくる。超高性能なアンサンブルという感じではないけれど、指揮者の指示だけでなく、オーケストラ自体がツボを知っている感じ。



ブラームスのオーケストラ物を聴くときは、その精緻な書法を楽しみたい。音楽の見通しが損なわれるような気がするので、低弦厚めのバランスは好みではない。
しかしこの演奏は例外の1つ。ザンデルリンクなりのバランス感覚でブラームスの精緻な書法が解き明かされている。この演奏ならではのブラームスらしいアンサンブルの表情がある、と感じる。

ブラームス 交響曲第1番 セル / クリーヴランド管弦楽団 (1957)

  1. 2011/09/24(土) 07:00:00|
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1957年のステレオ録音。スタジオ録音。 セルは1960年代半ばにブラームス交響曲全集を完成している。そちらに収録されているのは1967年録音。この記事で採り上げるのはその10年前のスタジオ録音。

ちなみに演奏時間の比較。
1957 : 12:39 / 9:22 / 4:18 / 16:04
1967 : 13:06 / 9:24 / 4:41 / 16:25

わたしが聴いているのはUNITED ARCHIVES盤。Sony Classical盤でこの演奏をきいていないから直接の比較はできないけれど、UNITED ARCHIVES盤の音は、実際にはマスターに対する加工の程度は大きいのかもしれないが、オーケストラの響きの総和を感じさせてくれる。残響の具合もまずまず自然な質感。ちょっとやり過ぎて、ディテールの精細さは後退しているかもだが。



表現の練られた感じは1967年録音の方が高いというか、そちらは驚異的なレベルに達していると思う。ブラームスの精緻な管弦楽法を極めるように、(セルとしては)じっくりと演奏している。あえて言えば、音楽の展開より管弦楽の書法に焦点が当てられている感じ。

1957年録音の方にはそこまでの練度を感じない。期待される水準は軽くクリアしている、と思うけれど。わたしがイメージするこの交響曲らしさにつながるようなノリとか切迫感を持つのは1957年録音の方。



セルのセッション録音だから、多少ノリがよくなっても、テンポを大きく揺らしたり、特定パートをブリブリ鳴らしたり、みたいなことはない。
クリーヴランド管弦楽団を深く息づかせ、室内楽的なアンサンブルを通して大きな音楽を作り上げていく。見通しのよい響きの中で音が自在に動き回っていて、ブラームスの緊密で熟達した書法を堪能できる。厚ぼったく鳴らされると、この感じが損なわれてしまう。特に、室内楽的な親密さで歌い込まれて、浸みてくるような第二楽章には説得力を感じる。

大規模で雄渾な両端楽章は、圧倒されるようなパワー感はないけれど、音の構図がテンポよくかつ絶妙の間合いで遷移する様に引き込まれてしまう。大きな音を出さないで、深いフレージングとか奥行きを感じさせる音の重ね方なんかで音楽の大きさを表している。セルは基本技をとことん磨いて差をつける巨匠なのだ。
寒色系の響きは好みが分かれると思うし、"味わい"みたいなものはまったくない。それでも、音楽は確かに息づいている、と思う。

UNITED ARCHIVES盤で聴く限り音響はホール内に広々と響いており、カロリー不足ということはないと思う。重厚長大なブラームスを好む人を納得させられるレベルにはないかもだが。

ベートーヴェン 交響曲第5番『運命』 レイボヴィッツ / ロイヤル・フィル

  1. 2011/09/21(水) 14:30:00|
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1961年のステレオ録音。全集からの1枚。
残響多め。鮮度はまずまずで、空間はかなり広がり、量感十分。

ポップな響きはロイヤル・フィルの持味なのか、録音の特性なのか。重厚さとかいかめしさを求めるわけではないけれど、なんというか、ベートーヴェンはもうちょっと芯のある音で聴きたい。



キビキビとしたテンポで歯切れよく、力強く進む。ベートーヴェンの指定したテンポに則っているらしい。そして、本場の味を含めて、一切の方言を感じさせない。明解で壮快なベートーヴェン。

緻密というほどではないけれど、テクスチュアは明解。サウンドバランスはスッキリ方向で整っている。全体に薄味だけど、(わたしが)欲しい表情は一通りキャッチアップされている。 オーケストラのコントロールは安定しており、ロイヤル・フィルのサウンドは好みでないとしても、演奏は手堅い。



なんとも語りにくい演奏。「語り口」とか「味わい」めいたものを感じない。作曲者や作品に対する思い入れを感じるわけでもない。しかし、そういうことを別として、何か欠けている要素があるかというと、思い当たらない。
よく出来ているけれど無個性な演奏、と片付けてしまうには、音楽は活き活きと脈動していて通り一遍ではない。演奏として行き届いていながら、音楽を脈動させながら、演奏者の体臭を消し去っている。

どうやって聴衆を魅了するか、みたいな職業的な演奏家の視点を切り捨てたところで演奏しているような感じ。指揮者がいい意味で黒子に徹していて、そういうスタンスが作品との距離を生み出して、歪みのない作品像につながっていると思う。

黒子に徹するて言っても、オーケストラ任せにしているのではなく、あれやこれやに目配りしバランスをとりながら、能動的に自分の体臭を消している。指揮者的に知的な演奏だと思うけど、それすらも容易に気どらせない。

オケゲム Missa De Plus En Plus タリス・スコラーズ

  1. 2011/09/18(日) 13:40:00|
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1990年代半ば頃の録音。なぜだか、正確な録音年月が記載されていない。

以前の記事でスコラ・ディスカントゥスの録音を取り上げた。あちらはわたしの好みを優先した選択。
純粋に充実感とか感銘の大きさで選べば、タリス・スコラーズの素晴らしい演奏。というか、手持ちのすべての音源の中でも、特別な価値を持つ録音、わたしにとって。

* * *


声の美しさと完成度の高い技巧はいつものことだけど、同時に密度の濃さを感じさせてくれる。タリス・スコラーズの録音を他に数点聴いていて、美声と技術の高さに常々感心していたが、表現力の大きさに打たれたのはこの演奏が初めて。
ゆったりとしたテンポで、克明かつ彫りの深い演奏。瞬間瞬間が強く訴えかけてくる。荘厳だ。荘厳なオケゲム。

キリエ、グロリアは、個人的に流動感のある演奏を好む。特にグロリアは。タリス・スコラーズはじっくりやっているので、ちょっと違う。でも、すごく聴かせる。

クレド以降はただただ聴き入るばかり。8名による混成声楽アンサンブルだけど、小宇宙をイメージさせられる。曲も演奏もすごい。
荘厳で格調高いクレド前半には陶然とさせられるし、2声の進行が多くて演奏によっては退屈しやすいサンクトゥス/ベネディクトゥスも、ひとりひとりの技量と表現力の高さに引き込まれてしまう。

この時代のミサ曲は実用が前提であったから、ミサの式次第に則した内容・構成になっている。鑑賞目的で聴くと、退屈を感じる部分があるのは、ある程度は仕方のないことと思っている。
しかし、この演奏に限っては、彫り深く色彩に富んだアンサンブルが、すみずみにまで豊かな陰影とニュアンスをもたらしていて、間然とするところがない。

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あらためてオケゲムの素晴らしさを実感。

歌詞がラテン語であるために、宗教的な意義を有するゆえに、そしてミサの式次第に則しているために、消化しにくい面はあるだろう。
また、フランドルの作曲家たちの中でも、オケゲムのポリフォニーは徹底している。四声が完全に等価で進行する対位法は、聴きやすいものではない。

しかし、そうした障壁の先に聴こえてくるのは、研ぎ澄まされ、純度が高く、豊かな奥行きと陰影を持つ音楽。そして、静かに深く浸透してくる抒情。

その書法は簡潔で、響きはフランドルの作曲家たちの中でも薄い方だろう。音楽は淡々と流れているようでありながら、刻々と表情を変えていく。そのニュアンスの深いこと。聴くたびに新たなきらめきを発見する。

わたしにとっての音楽のコアみたいなものが、純粋な形でここにある。

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