ブラームス 交響曲第1番 ベーム / ベルリン・フィル

  1. 2011/10/30(日) 16:00:00|
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1959年のスタジオ録音。 きわめて良好なステレオ録音。精緻で精悍な演奏が鮮やかに捉えられている。



これ以上は考えにくいくらいに精密かつ緊密でありながら、すみずみにまで凛とした覇気がかよっている。コントロールする指揮者も、演奏するオーケストラも桁違い。味わいとかノリとか音響とかを云々する前に、演奏芸術の極致のようなアンサンブルにほれぼれとしてしまう。
その圧倒的な切れ味のよさで、ブラームスの書法の精細さや密度の濃さを白日のもとに顕す。この作曲家の力量を見せつけられる思いがする。
これだけでこの録音を聴く価値がある、と思う。最高レベルの技巧派指揮者ベームの実力が遺憾なく発揮されている、と感じる。



低音の土台の上で折り目正しいアンサンブルが展開されるところにドイツの伝統めいたものを感じるけれど、個々の線の動きは鮮鋭的なまでにシャープで軽快で流暢。その俊敏なことは、音の質量を感じさせないくらいだけど、鈍くも重くもないが十分に厚い低音と組み合わさって、手応えのあるサウンドになっている。
伝統的なものと現代的なものが独自の配分で調和していて、洗練された演奏様式だと思う。50年以上前の演奏に現代的という表現はそぐわないようだけど、今聴いてもハッとさせられるくらいに鮮やか。

軽快で俊敏な運動性が際立つ反面、陰影は乏しい。また、サウンドは均質化されていて、統一性は高いものの色彩感は乏しい。結果として、聴き手にとって、情緒を刺激されたり、想像力を刺激されたりする余地の乏しい演奏に仕上がっている。
それをこの演奏の欠点と言うことはできるけれど、そもそも演奏のコンセプトが別の方向を向いている。この演奏に関する限り、ディテールが情緒をにじませることはアンサンブルの緩みなのだ。ベームはブラームスの書法を濁りなく精確に、そして鮮烈に響かせることに専念している、と感じる。



とはいえ、原理主義・即物主義のような演奏ではない。その種の演奏につきまといがちな過激さ、過酷さは乏しい。構造とか書法をくっきりとさせることにはこだわるけれど、作品を解体するような手つきではなくて、そういう鳴らし方がベームの感性とか嗜好に合っているのだろう。

第二楽章における深い息遣いでの凛とした歌いっぷりにベームの歌心を感じるし、第三楽章では精緻で俊敏なアンサンブルが小気味良い快感をもたらしている。両端楽章は、あふれる覇気とめくるめくような音の連鎖・交錯が圧巻。
一聴して禁欲的と思えるくらいに研ぎ澄まされたアンサンブルが、実は感覚的な洗練と愉悦につながっている。

ジョスカン・デ・プレ Missa Pange lingua タリス・スコラーズ

  1. 2011/10/26(水) 21:00:00|
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1986年の録音。

全声部が中央に集まっているような響き方。演奏のコンセプトなのか録音の傾向なのかは判断しかねるが、一体として響きながらも個々の声部は鮮明に聴き取れる。

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わたしの中では、オケゲムの方がジョスカンより上だけど、もし人にルネサンス期のミサ曲の音盤を勧める機会があるとしたら、推すのはジョスカンの方。

技術的なことは分からないから脇に置くとして、イマジネーションを深く強く刺激されるのはオケゲムの音楽。ただ、オケゲムのミサ曲は高踏的と言うか、観念的と言うか、原理主義的と言うか、とにかく聴き手へのサービス精神は皆無。こちらが強く求めなければ果実を与えてくれない。

一方のジョスカンの音楽は演奏効果抜群。展開が明快で、表現のメリハリがハッキリしていて、音響の美しさが抜きん出ている。ダイレクトに感覚に訴えてくる力の強さではオケゲムを圧倒する。特に、今回採り上げるMissa Pange lingua(ミサ パンジェ・リングァ)の音響美は史上最強クラスではないだろうか。いや、それを判断する資格はわたしにはないけれど、これを超えるものを聴いた記憶はないし、想像できない(個人的な嗜好に過ぎないけれど)。音楽の宝石、と呼びたくなる結晶化された美しさ!

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ここでのタリス・スコラーズは、技術的な完成度と音響美を追求している。
透明で伸びやかなソプラノが演奏の色調を支配している。研ぎ澄まされた感覚と技巧。リズムはよく切れて、メリハリがハッキリしている。力強い部分はシャープで切れ味よく、柔らかい部分はしなやかに流れるように。

楽章別に見ると、キリエ、グローリア、アニュス・デイの3つは、この演奏の研ぎ澄まされた美質が威力を発揮していると思う。キリエ、グローリアの洗練された美しさには息を飲むしかない。アニュス・デイの演奏では、ジョスカンのイマジネーションに浸ることができる。

クレド、サンクトゥス、ベネディクトゥスの演奏も優れているけれど、楽章の性格からして、もうちょっと多彩にやってほしくはある。無垢で求心的なアプローチゆえに、削ぎ落とされた要素があるように聴こえる。

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現実のミサに立ち会ったことはないから想像だけど、この演奏は(典礼用としては)実用的ではないように聴こえる。儀式のための音楽としてではなく、コンサートの曲目として、鑑賞される音楽として表現されている。それっぽいのは教会っぽい残響豊かなサウンドくらい。

とことんすっきりとしたプロポーションとか、高域が強い音のバランスとか、鋭い切れ味とか、演奏の癖ははっきりしている。硬質な美しさとか洗練を極めた書法とかは体感できるけれど、それ以外の側面、たとえばスケールの大きさとか色彩感みたいなものは、聴きながら推測されるものの、音として実感できるほどではない。

でも、このミサ曲のとてつもない洗練を思い知らせてくれる演奏であることは否定できない。あるいは、このミサ曲の凄みのある部分は、このレベルの演奏でもってようやく本来の響きをあらわす、というべきか。

ブラームス 交響曲第1番 バーンスタイン / ウィーン・フィル

  1. 2011/10/23(日) 14:00:00|
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1981年の録音。全集からの1枚。 ライブ録音となっているけれど、おそらくセッション録音に準ずる整った環境での録音。



ニュアンスたっぷりに歌わせるし、テンポは揺れるけれど、全体のフォルムを崩すような大げさな身振りは少ない(ないわけではない)。音楽を大きく息づかせながら、作品のフォルムとかテンポなんかは標準的で概ね安定している。また、響きの量感や厚みも必要十分。
自分の感性をすみずみにまで注入しているけれど、伝統的なブラームス像と円満に折り合っているように聴こえる。

オーケストラの影響はありそうだけど、ゴツゴツしたブラームスではない。柔軟に、しかし熱っぽくうねる感触。厚味とか力感とか推進力は事欠かないけれど、迫力や轟音で圧倒する素振りはない。



さすがのウィーン・フィルで、各パートは歌や音色は決まっている。そして、熱っぽい中でアンサンブルの応酬が伝わってくる。
気持ちは込められている感じだけど、いろんな演奏をとっかえひっかえした後で聴くと、アンサンブルの親密さや彫りの深さみたいなところで、大味に感じられるかもしれない。わたしはそのように感じた。

おそらくバーンスタインは、個々の線が親密に連動して1つの流れや息遣いを生み出す、みたいな発想で鳴らしていない。各パートを活き活きと響かせて、それらを揃えてバランスさせる、くらいの意識で演奏しているのではないだろうか。
一概にそれが悪いとは言えないが、ブラームスの精妙なテクスチュアを描き出すのには向いていない、と思う。
その真偽は別にして、バーンスタインは、巨匠クラスの指揮者にしては、サウンドをコントロールする技量が冴えていないように聴こえる。ニュアンス豊かな歌いっぷりにハッとさせられることはあっても、その音響効果に魅了されることはないし(個々のパートの音色とは別の観点で)、それどころか、サウンド面でメリハリの不足や濁りを感じることがある。

バーンスタインを語れるほど彼の演奏を聴いていないが、この演奏からは、彼が思うところの作品の魅力や作曲者への思いなんかを、自分の語彙でストレートに音にしているように聴こえる。気取らず構えず、聴き手に向けて胸襟を開いてくるような率直さ。
この限りでは、"技巧派"でないことがプラスに働いているかもしれない。

ベートーヴェン 交響曲第3番『英雄』 クレンペラー / デンマーク王立歌劇場管

  1. 2011/10/18(火) 13:00:00|
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1957年のライヴ録音。モノラル録音。
TESTAMENT盤。細部の鮮度はまずまず。音の広がりと量感はかなりのレベルで、当日のすさまじい音響はよく捉えられている、と思う。

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クレンペラーの演奏なら、最近は1950年代の録音を好んで聴いている。1950年代だけでも、彼の『英雄』交響曲の録音は複数あって、いくつかは聴けていない。
そんな中で、このデンマーク王立歌劇場管との演奏は思いきった重厚激烈路線。総じて押し出しの強い演奏をする指揮者だけど、ここではある一線を越えている、と感じる

激情を迸らせるようにドラマティックだけど造形はガッチリ。ノリよくズンズン進んでいく。
荒々しい迫力と引き換えに、ディテールの訴求力はこの指揮者としては後退気味。克明かつ彫りの深い表現を期待すると、必ずしもそういう方向性の演奏ではないから、喰い足りないだろう。
といっても、こちらがクレンペラーに対する固定観念を捨てて聴くなら、録音が古いことだし、あげつらうほどのことではないかもしれない。

ある意味で"らしくない"演奏だけど、幅広く訴求しうる演奏になっている、と思う。「クレンペラーは好きじゃないけど、この『英雄』はいい」と言われてもおかしくない感じ。
このコンサートの期間中クレンペラーは一種の躁状態だったのだろうか?

"らしくない"演奏だとしても、見る目が変わるような落差ではない。持ち味のある部分を前面に出している感じで、その気があればこういう演奏ができても不思議ではない、と思う。

いろいろな演奏を聴いていくと、クレンペラーの本気は別のところにあったように思えるけれど、その気になればこんな荒ぶる演奏を繰り広げられる指揮者であった、ということを示す興味深い記録。

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クレンペラーのセッション録音で聴けるような克明な演奏には高い技量のオーケストラが不可欠だと思う。一方、この録音のようなドラマティック路線であれば、オーケストラが上手いにこしたことはないが、ここぞという決め所を外さなければ成り立ちそう。

当時のデンマーク王立歌劇場管弦楽団の実力は分からないけれど、この演奏のコンセプトの限りにおいては充実しているように聴こえる。

ブラームス 交響曲第1番 ベイヌム / アムステルダム・コンセルトヘボウ管

  1. 2011/10/15(土) 13:00:00|
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1951年のスタジオ録音。 解像度はとても高いが、不自然に高いかも。古いモノラル録音なりに、オーディオ的な音作りと感じられる。
同じコンビで1958年に再録音されている。そちらはステレオ録音。



すさまじく激しい演奏。曲調ゆえに激しい演奏は珍しくないけれど、この演奏は頭ひとつ抜けている、と思う。計算された激しさというより、音楽が鉄骨むき出しでガシガシギシギシと軋み音を立てながら突き進んでいくような感じ。アクセントはきついし、フレージングは骨っぽい。
テンポは速めで、造形は引き締まっている。スマートにではなく、武骨に引き締まっている。
弦の乾いた激しい音が、演奏のキャラクターを決めているようだ。木管の響きにはしっとり感があるし、金管がけたたましく突出することはない。

アンサンブルの個々の動きは明解でコントロールされているけれど、一体となって連動していかない。そのために瞬間瞬間のサウンドイメージがビシッと決まらないし、微妙な息遣いやオーケストラ全体がうねる感覚は乏しい。ベイヌムはもともとむき出しのような感触を狙っているようだけど、それだけではなさそう。

近い時期にエーリッヒ・クライバーがアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮した録音を聴いたときにも感じたことだが、当時のこのオーケストラは精度と馬力をすごいレベルで両立させていたようだ。 最近の演奏を知らないので、現在との比較はできないけれど・・・

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