バッハ 『ゴールドベルク変奏曲』 レオンハルト

  1. 2012/01/21(土) 14:07:55|
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1976年のセッション録音。マイクが楽器の近くに設置されているようなサウンド。ホール内に響く雰囲気は乏しいけれど、レオンハルトの表現がリアルに訴えかけてくる感じ。



レオンハルトのこの録音は思い出深い。これによってバッハとチェンバロに開眼したといっていいくらい。
それまでは、チェンバロのことを硬い音のするオルゴールのような楽器くらいに考えていた。そんな耳に、レオンハルトの色彩と陰影に富む表現は驚きだった。
そして、一つ一つの音に与えられた意味とか役割に得心がいった。強弱の表現力が乏しく響きの薄いチェンバロから豊かで壮麗な音楽を導き出すために、バッハは技巧を凝らしていたのだ。それらの技巧は、ピアノによる演奏では音楽を過剰にしてしまうけれど、優れたチェンバロ演奏で聴くなら洗練の極致。

そうしたことを知ることは、結局はピアノ演奏によるゴールドベルク変奏曲を引き寄せることになる。ピアノ演奏しか知らなかったときに感じていた意味不明な違和感が解明されたのだから。
でも、耳で聴く限りチェンバロとピアノは似ても似つかない。



もともと鍵盤楽器でメロディを歌わせるのは難しいそうだけど、機能的に劣るチェンバロではさらに難しいだろう。にもかかわらず、レオンハルトは音を緊密に撚り上げることで、色合い豊かなメロディ・ラインを聴かせる。勝手を知る者が操ったときに発揮されるこの楽器の表現力を見せつけるように。
積極的に揺らされるテンポやリズム、念を押すようなアクセントの強調、粘りのある節回し。おかげですべての変奏の性格はくっきり明解だけど、その語り口はそうとうに意志的。
ただし、これらの味付けは徹底的だけど大げさではなく、一定の枠内に収まっている。そのために、全体の進行には安定感とか一貫性が感じられる。

音楽が横の流れに集約されすぎているかもしれない。演奏によっては、この作品でのバッハの書法は、ときにはミニチュア・オーケストラかと耳を疑いたくなるほど立体的に響くけれど、レオンハルトのこの演奏は違う。バッハの巧緻な書法は色合いのバラエティとして消化されていて、ダイナミズムにはつながっていかない。表現力が、拡散ではなく凝縮する方向に働いているとでも言うか・・・



各変奏での反復は省略されている。反復の有無は演奏時間の違いだけではなくて、個々の変奏の味付けを左右するはず。だからこそ、作曲者の指示どおり反復する演奏を基本に考えている。"正統性"にこだわるレオンハルトが作曲者の明示的な指示にしたがわなかった理由は何だろう?
とはいえ、反復無しのこの演奏にして演奏時間は47分。先入観を持って聴かなければ、音楽鑑賞として物足りなさが残るわけではない。

シューベルト 交響曲第8番『ザ・グレート』 エーリッヒ・クライバー / ケルン放送交響楽団

  1. 2012/01/18(水) 13:25:15|
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1953年のセッション録音。明解で、ほど良く柔らかさがあって、良質なモノラル録音。



のけぞるような強靭さと、しなやかかつ細やかな表情との間をダイナミックに行き来する。表現の振れ幅はマックス値。
そして、潔癖なまでにタイトに締まったアンサンブルゆえに、厳しさと緊張感が漲っている。

透明感を感じさせる響きではないけれど、引き締まっているために見通しはすこぶる良好。すべてのパートが均等に近いバランスで鳴らされていて、木管群をはじめとした内声部も雄弁。
ぎんぎんに引き締められたアンサンブルだけど、単に合奏の精度を追求するのではなく、音楽のニュアンスの遷移を一点の濁りもあいまいさもなく聴かせようとしている。作品のとらえ方はロマンティックだけど、演奏に臨む姿勢には容赦が無い。

理論上表現の振幅が大きくなりそうなアプローチだし、滅多にないくらいに彫りが深くて克明な演奏だけど、必ずしも表情豊かに聴こえないのは、演奏姿勢の厳しさ、漲る緊張感のせいだろう。癇症のような音楽になっていて、聴き疲れしてしまう。
音楽の表情を決めのは、表現の内容だけでなく、演奏を支配する空気みたいなものも関与しているようだ。



オーソドックスっぽいアプローチをしながら、他の誰とも違う個性を聴かせるし、作品の洞察とオーケストラの掌握に関しては別次元にいるような感じ。類まれな才能だと思う。
だけど、愛されやすい持ち味ではなさそう。こういうのを孤高と呼ぶのだろうか・・・