ブルックナー 交響曲第4番『ロマンティック』 クレンペラー / バイエルン放送交響楽団

  1. 2012/03/06(火) 06:00:00|
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1966年のライブ録音。広がり、量感、見通しは良好。ただし手応えとかパンチは乏しい。録音の質だけでなく、ホールの音響特性あたりが関係しているのかも。いずれにしても、録音年代を考えるとかなりの好音質。




クレンペラーは、もっぱら楽曲の書法を浮き彫りにすることによって音楽の表情を形成する。楽器の音を生々しく響かせ、音の姿や音と音のつながりを克明かつダイナミックに表現することによって、音楽の活力とかニュアンスを力強く引き出す。

わたしはブルックナーの音楽にある程度の濃厚な雰囲気を期待するけれど、クレンペラーはそういうことには頓着しないようだ。おそらく彼は、それがどれほど崇高であろうと気高くあろうと、音楽をムード的に響かせることを忌み嫌う。そして彼は、気分とか雰囲気抜きで、その書法のおもしろさにおいて、ブルックナーの音楽に入れ込んでいる。
だから、クレンペラーの描き出すブルックナー像は、わたしの嗜好からは外れ気味なのだけど、第4交響曲は例外。



第4交響曲の場合、第1〜3楽章までなら雰囲気路線でもいけそうだけど(ただし第2楽章は冗長になりがちかも)、終楽章でそれは通用しにくい。この楽章は技巧的で曲調は激しく変転する。雰囲気路線でやってしまうと書法が曇ってしまい、作曲者の狙いが生きてこない。
ブルックナー中期の交響曲群ならではの魅力の1つが、ロマン派的な発想で駆使される対位法のおもしろさ。第4交響曲の終楽章では、そのあたりを踏まえつつ、書法の妙味と曲調の推移を、明解かつ活き活きと聴かせるのが正解だと思う。

で、全曲を締めくくる大規模な終楽章をそのように解釈するのなら、先立つ3つの楽章を雰囲気路線でやるのは据わりが良くない。全曲ひっくるめて、書法のおもしろさを軸にアプローチした方が、筋が通りやすい。
そういう視座に立ってみると、クレンペラーの演奏は本筋を押さえていることになる。

第7番以降の三つの交響曲を知る耳からすると、ついつい第6番以前の交響曲にも豊かで濃い雰囲気を期待してしまう。その期待感が作品観を歪めているのかもしれない。



ここでのバイエルン放送交響楽団は素晴らしい。伸びやかで透明度の高いサウンドに、惚れ惚れとするような機動性。そこに鄙びたような柔らかいテイストがふわりと被さる。

クレンペラーは、この機動力と豊かな音響を駆って、全曲を通して作品の書法のおもしろさ、特に対位法的な妙味を浮き彫りにしていく。オーケストラを厚ぼったく鳴らしたり、横の線重視で演奏してしまうと、ブルックナーの巧みな対位法的作法がくすんでしまう。この演奏では、ブルックナーの精密で技巧的な管弦楽法を堪能することができる。
明晰・緻密というだけなら他にいくつもあるけれど、縦の線で思い切りよく音楽を仕切っていくのはクレンペラーならではと思う。

それでいて、無機的なタッチになっていない。濃厚なムードはないけれど、生気に溢れている。風格を持ちながら勢いと瞬発力に富んでいて、壮快だ。また第二楽章では、見通しのよい響きの中で、格調を漂わせている。

ブルックナー 交響曲第4番『ロマンティック』 チェリビダッケ / ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

  1. 2012/03/02(金) 06:00:00|
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1988年のライブ録音。

ゆったりとしたテンポを基調に、オーケストラを渋くて艶やかな美音でもってたっぷりと歌わせていく。一点一画を余さず歌い尽くすためのテンポ設定か。チェリビダッケとミュンヘン・フィルによる"美音の饗宴"。

おそらく、最大の聴きものは終楽章のコーダ。他の誰とも違うやり方で圧倒的な効果を生み出している。このためだけでも聴く価値のある演奏だと思う。
いや、コーダに限らず終楽章には聴き応えを感じる。もともとじゃじゃ馬的な楽曲だと思うけれど、曲調の変化を表情たっぷりにかつ手際よく聴かせてくれる。この指揮者の"上手さ"を痛感。

チェリビダッケの他の演奏では、緊張感と深い呼吸に誘われて瞑想的な気分に至ることがあるけれど、この演奏では流動感が勝っていて、心理的な意味での吸引力は感じられない。感覚的な心地よさに傾斜しているように聴こえる。



チェリビダッケは曲調の変化に的確に反応している(ように聴こえる)けれど、最終的には自身の美音指向を優先させる。場面によっては、美しいサウンドへの陶酔感と曲調としての陶酔感がシンクロして高い演奏効果をもたらしているけれど、別の場面では妙に滑らかだったり、もったいぶって響いたりする。
ブルックナーの音楽には素朴さや荒々しさもあると思うのだけれど、巧妙に取り除かれているようだ。ある意味、表現の幅が狭いと言えそう。

ただし、チェリビダッケの表現力が乏しいとは思わない。この指揮者は、ある程度の偏向を代償として独創性と洗練を追求している、ということだろう。