ブラームス 交響曲第4番 トスカニーニ / フィルハーモニア管弦楽団

  1. 2012/04/28(土) 14:40:54|
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1952年のライブ録音。響きに潤いを感じさせるモノラル録音。会場の雰囲気はまずまず伝わってくる。



楽譜を見ながら演奏を聴かないので伝聞情報なのだけど、トスカニーニは楽譜の指示にしたがって精確に演奏しているらしい。
一方、演奏者の裁量に委ねられる領域では、楽曲の書法をとことん明解かつ鮮烈に響かせることに徹している。

理屈の上では楽曲の実相に迫れそうなやり方だけど、楽曲はまばゆいばかりの鮮烈さに集約されがちで、作品ごとのテイストの差異なんてものを感じにくい。

トスカニーニはムードに流れない音楽作りをしている。しかし、そのようなアプローチをとったとしても、音楽は何らかの雰囲気をまとう。張りと艶のある鳴らし方や、ときにヒステリックに聴こえるくらいの切れ味が、そのまま音楽の佇まいとして映し込まれている。
そういう雰囲気、鮮烈な色彩感とか、息詰まるような緊張感とか、メリハリの強さとかが楽曲の雰囲気とふさわしく感じられるかが、大きな分かれ目になりそう。

ただし、良くも悪くも"公式見解"としての堅苦しさを感じさせるNBC交響楽団とのセッション録音と違って、この演奏には一世を風靡したスター指揮者ぶりを偲ばせる艶とか柔軟性を感じる。トスカニーニ贔屓とは言えないわたしにも近づきやすい。



この交響曲のような、それだけでも楽しめるくらいに書法の熟成度が高い楽曲は、トスカニーニに向いていると思う。というか、オーケストラ指揮者としてのスペックの異常な高さを見せつけられる思いがする。

聴いていて、この交響曲の書法の半端ない洗練を、真のポテンシャルを、改めて教えられているような心持ちになった。あるいは、薄々感じていたことをまざまざと見せつけられた。これが楽譜どおりの演奏だとしたら、それまでに聴いてきた巨匠+名門オーケストラの多くは(すべてではない)、ブラームスの書法をさばききれていなかったことになりそう。

弦を前面に出してたっぷりと美しく歌わせ、メロディ主体に聴かせる演奏を多く耳にする。弦の歌は美しくとも、この手の演奏では往々にして内声部が骨抜きにされ、結果色彩感や変化が乏しくなってしまう。トスカニーニの演奏の前では、お茶を濁しているようにしか聴こえない。
トスカニーニは、各パートを等価に扱いながら、その瞬間瞬間でもっとも鮮やかに映える音の配合を選び取ってくる。そして、高性能かつしなやかなフィルハーモニア管弦楽団が、絶妙のブレンド感を聴かせる。颯爽としたテンポにのって、めくるめくように色合いを変化させていく。その鮮やかなこと。



この録音には致命的とも思える瑕がある。第四楽章序盤に数回大きな雑音が入る。妨害のために爆竹が鳴らされたとのこと。それに動揺したのか(あるいは無関係なのか?)、中間部の静かな場面で木管等の若干の乱れを感じるけれど、終盤の畳み掛ける気迫はすさまじい。心ない行為が演奏者たちの闘志に火をつけたかのように、一丸となって燃え上がっている(ように聴こえる)。

ブラームス 交響曲第4番 ジュリーニ / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

  1. 2012/04/24(火) 19:06:18|
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1989年のセッション録音。ホール内の響きを生々しくとらえたような音質。わたしにとっては、真価を引き出しにくいタイプの高音質。



別掲のシカゴ交響楽団との録音から20年後のセッション録音。コンセプトに通底するものを感じるけれど、演奏から受ける印象は大きく異なる。旧録音では、ディテールはそれなりに雄弁であったけれど、音楽全体の流麗な進行に軸足が置かれていた。一方の新録音では、足取りは滔々たる大河のようで、その中でフレーズのひとつひとつをじっくりと熟成させるよう鳴らし、雄弁で濃厚な表情を醸し出している。

とは言え、新録音でもたっぷりとした音響とか曲線的なフレージングとかがあいまって、音楽はスーパースムーズに流れていく。たっぷりとなめらかに流れることが、音楽のDNAに組み込まれているかのように、徹底されている。悠々と流れる様には独特の風情があるし、織りなされる綾には時折ハッとさせられる。線の流れを編み上げるようなブラームスの書法との親和性は高いと思う。

あらゆる音が、ごく自然に振る舞っているように聴こえながら、吟味し尽くされて鳴っている。癖の強い演奏のはずだけど、耳が馴染んでくると、すべてが必然にしたがって流れているように思えてくる。老成円熟した大家にしか出せないオーラが立ちこめている。



艶がかってこってりとした音響や甘く流れるような歌いっぷりは、落ち着いた感じの豪華さと大河ドラマ風の恰幅をもたらしている。ちょっと妄想を膨らませると、世紀末の貴族社会を舞台にしたメロドラマ風年代記みたいな感じ(?)。基調はメランコリックだけど、けっこう甘くてゴージャス。
そのこと自体に良いも悪いもないけれど、ジュリーニは音楽の表層に近い部分で強く自己主張しているから、楽曲の素顔から隔たった音楽ではあるのだろう。というか、ぶっちゃけ厚化粧な演奏なのだと思う。



楽曲の味わいとか指揮者との相性を考えると期待感は高まるけれど、ここでのウィーン・フィルが魅力的に聴こえるかというと、ちょっと微妙。弦の歌いっぷりや総体でのブレンド感は香ばしいものの、いささか淡彩。特に木管は艶消しされたような薄い表情で、あんまりきらめかない。録音質のせいでそのように聴こえるのかもしれないが・・・


ブラームス 交響曲第4番 ジュリーニ / シカゴ交響楽団

  1. 2012/04/22(日) 06:00:00|
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1969年のセッション録音。オーケストラ全体としての豊麗な響きを重視するような質感。演奏の特性を考えるとディテールはもうちょっとクリアであって欲しいと思わないではないけれど、不鮮明というわけではない。



遅いというほどではないけれど、ゆとりを感じさせるくらいのテンポにのって、丹念に歌い上げられていく。
ジュリーニの意識は、艶やかかつ豊かに響かせ、流麗でよどみの無く進行させることに徹している。リアルに知覚できる種類の音楽の美しさ(綺麗とか、洗練されているとか)を追求している。
丁寧な手つきの演奏だけど、多様な表情を掘り起こすというより、量感豊かな弦の響きを主体として、音楽全体の流れと響きを丹念に磨き上げるような風情。表情の多様さとか幅の広さみたいなものはほどほどだけど、仕上がりの美しさは群れを抜く。

シカゴ交響楽団のアンサンブルは端整でよく切れているけれど、音楽の表面が刺々しくなったり角張ったりしないように徹底管理されている。



ジュリーニが追求しているのは、名工が腕に縒りを掛けて作り上げた宝飾品が纏うような、直接的に感覚に訴えかけてくる種類の様式美だと思う。ふだん心の深いところにしまっている非日常的な感覚を揺り動かされるようなタイプの音楽ではないと思う。
とは言え、ベタな種類の美しさ・洗練であっても、その上質感は日常的とは呼べないレベルに迫っていると感じる。演奏から伝わってくる一途な姿勢も、そういう印象を強めている。



これは1960年代後半の演奏で、ジュリーニの後年のスタイル(といっても、本来一括りに語れるものではないけれど・・・)と比較すると、ざっくり言って、流麗な気持ちよさで勝るけれど、そのぶん表現の彫りの深さは及んでいない。優劣とは別次元の、質的差異のような気がする。演奏のクォリティは十分に高いし、流麗な心地よさはこの交響曲を楽しむ上でより好ましく聴こえるかもしれない。


ブラームス 交響曲第4番 ヴァント / 北ドイツ放送交響楽団

  1. 2012/04/20(金) 06:00:00|
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1997年のライブ録音。

楽曲の構造とか書法をバランスよく明解に聴かせてくれる。こういうアプローチはありがちだと思うけれど、ドイツ伝統の画然とした構成感やサウンドバランスを踏まえたこの手のもので、演奏・録音ともに高品質となると、希少価値が高くなってくる。この録音に限らず、ヴァントの録音全般が有する存在価値と思う。



ヴァントがやっていることだけを取り上げれば完成度は高いと思う。まったく凡庸ではない。ただし、音楽の表情は淡白でのっぺりとしている。

ヴァントのフレージングは浅く淡白で、リズムの刻みは軽い。音の編み目が整然として聴こえる。楽曲の構造とか書法を歪み無く提示するにはきわめて有効。ただし、このやり方だとディテールの陰影とか抑揚は乏しくなりがちで、音楽の表情を平板にしてしまう。
派手な音響効果が駆使され、息の長いフレーズが頻発するブルックナーの音楽では、ヴァント流は節度として聴けるかもしれない。しかし、渋い色調で、精緻に織り上げられたようなこの交響曲においては、ただ彫りが浅いだけに聴こえてしまう。

ブラームスの音楽において、構造と書法を浮き上がらせることは有効だと思う。しかし、その代償としてのっぺりしてしまうのは残念。構造とか書法を浮き彫りにしながら、ディテールを生き生きと色づかせてこその巨匠指揮者と思うのだけど。

フレージングは浅く淡白であっても、リズムの刻みは軽くとも、ふっくらと厚みのあるサウンドのおかげで、音楽全体としては押し出しはいい。ヴァントなりに中庸を狙っているのだろうと推測するけれど、個人的にはのっぺり感を強化しているように聴こえる。


ブラームス 交響曲第4番 セル / クリーヴランド管弦楽団

  1. 2012/04/17(火) 23:10:54|
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1966年のセッション録音。空間の広がりを感じられて、ディテールはくっきりしている。でも、ホールの空間に響きが溶け合うような雰囲気は乏しい。



セルの1960年代後半のセッション録音の中には、独自の美意識とか様式美を強く打ち出した演奏がいくつかある。これもそのひとつではないだろうか。

深くゆったりとした息遣いで、感傷的と言ってもいいくらいに繊細に鋭敏に歌われ、刻まれ、流れていく。しかし、蒸留水のように透明で純度の高いサウンドゆえに、音楽はまったくウェットに響かない。そのためか聴き手に直接的に伝播するような生々しさは無いけれど、静かにしみてくるような感覚がする。

緻密で精確なアンサンブルは、音楽の襞の奥の奥まできらめかせる。これだけの高精度な合奏があってはじめて実現できる音楽の美しさ。おそらくこのコンビでなければ生み出せない美しさ。セルは、この美しさを手に入れるためにクリーヴランド管弦楽団を鍛錬してきたのだ、と得心できる。



あからさまに特殊ことをやっているわけではなく、すみずみまでセルの美意識で吟味され磨かれた果てに、他の誰にもできなさそうな音楽が出来上がっている。
演奏者のカラーがこれだけ強く出ている演奏を、普遍的な作品像とは言いにくいのかもしれない。しかし、楽曲の室内楽的な書法を、究極と思える精度で聴かせる点では、外せない存在かもしれない。


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