モーツァルト レクイエム カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団他 (1961)

  1. 2012/06/27(水) 06:00:00|
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1961年のセッション録音。録音年代を考えると広がりとか量感は充分。ただし、それなりの規模のオーケストラと合唱団を教会に放り込んだらこうなるだろうなぁ、という"いかにも"な響きは扱いにくいかも。



この指揮者らしくサウンドは磨かれているけれど、後年の演奏ほど美音の優先度は高くない。むしろ、録音会場である教会にうねりながら充満する音響の凄みとか、聴き手を魅了する前に圧倒してしまおうとでも言うような気迫を強く感じる。そのぶん表情を作り込んだような感触は薄く、率直な表現のように聴こえる。
キレの良さとスムーズな進行、そこに荘厳さ、緊張感、圧倒的量感があいまって聴き応えがある。



独唱はなかなか鮮明に聴こえるし、教会の空間に響く雰囲気はかなりいい。

合唱の方は、歌というよりヴォーカルによる特殊音響効果のような感じ。雰囲気作りとか音響の壮大なうねりに威力を発揮する反面、各声部の精妙なコンビネーションを楽しもうとすると、ぼってりとして大味に聴こえがち。合唱団の歌い方や持ち味というより、演奏のコンセプトなのだろう。かなり思い切ったアプローチというか、効果的ではあるけれど、耳が慣れてくると大味さが気になってくる。

モーツァルト レクイエム バーンスタイン / バイエルン放送交響楽団他

  1. 2012/06/25(月) 06:00:00|
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1988年のライブ録音。

これは壮絶な情念のドラマ。モーツァルトらしく聴こえるかなんてことはおかまいなしに、濃密に演奏者の思いを迸らせている。
ソリストも合唱団もオーケストラもバーンスタインの情熱に感応している感じ。カリスマ性をまざまざと見せつけられる。

楽曲の情念的な側面を極大化したような表現で、極端な作品像ではあるけれど、過剰なまでに思い入れているだけで、技巧的に奢ったり衒っているわけではない。偏っているけれど、真摯で率直な演奏ぶりと感じられる。
厚ぼったい塊状の響きとか粘っこい歌いっぷりに違和感を覚えはするけれど、この名曲の1つの可能性を聴かせてくれる演奏と言えるのではないだろうか。

モーツァルトが途中まで書き上げたものを他人が補筆完成させた、という成り立ちもあってか、鑑賞していてテンションが上下動しがちな楽曲だけど、この演奏はその程度が少ない。おそらくバーンスタインの剛腕が情念のドラマという道筋を通しているからだろう。ある意味この曲を苦手とする聴き手に喜ばれる演奏かも。

ところで、個人的にバーンスタインの生み出すオーケストラ・サウンドに濁りと息苦しさを覚えることが多い。そういう方面が不得手な指揮者と見なしている。
しかし、この演奏では気にならない。まあ、息苦しさのようなものがないと言えば嘘になるけれど、ソリストたちの美声とか雄弁な合唱が濃い目の色彩をいい感じに施しているような気がする。

モーツァルト レクイエム ベーム / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団他

  1. 2012/06/21(木) 22:38:57|
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1971年のセッション録音。



量感たっぷりでスケールの大きな音楽が展開されている。厚くて壮大な音響の心理的効果を用いて宗教的な高まりを演出しよう、とする発想はいたってロマン派っぽい(ロマン派といってもいろいろありますが・・・)。
また、独唱、合唱ともオペラっぽい発声と歌い回しで、ものものしい雰囲気をもたらしている。

飽和気味に濁る響きは、ときに鈍重に聴こえてしまう。感覚的に言うと、清澄という言葉は当てはまらないし、楽曲の書法の肌理まで味わおうとすると、大味に聴こえてしまうだろう、と思う。
この種のアプローチは、大きな音を出せるパートが主導権を握りがち。音楽としては分かりやすくなっても、表情の多彩さは抑制気味になる。そのリスクを負ってでも、壮大に物々しくやりたい、というのがこの演奏だと思う。

とはいえ、音響の物理的な力で聴き手を圧倒しよう、と言うだけの演奏ではなさそう。
各パートの動きには節度と気骨があって、雰囲気に任せたり流されたりということではない。後期ロマン派的な大きな音響の中で、古典的な格調をあらわそうとしているようにも聴こえる。



このコンセプトを受け入れることができるなら、音楽の自然な進行に身を任せ、壮大な音響と深い息遣いに酔うことができる、と思う。

相対的にゆったりとしたテンポで、聴きようによっては緩みと感じさせる面はあるけれど、大きな空間で深く力強く鳴らしきるためのゆとりと考えたら納得できる範囲。そして、思いを込めるような深く大きな呼吸には、聴く者を引き込む力を感じる。

シベリウス 交響曲第2番 オーマンディ / フィラデルフィア管弦楽団 (1957)

  1. 2012/06/17(日) 13:34:00|
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1957年のセッション録音。ステレオ録音。高音がきつめなのはちょっと残念。しかし、透明でありながら量感あふれるサウンドはとらえられている。



オーマンディには、カラッとして華やかなサウンドとか、フレージングの曲線美とか、技術的な完全性を前面に出してくる指揮者という印象がある。楽曲のイメージからすると場違いなくらいにあっけらかんと響くことがしばしばある。

この演奏も同じ調子だけれど、抜けるようにカラッとしたサウンドはともかくとして、曲線的で息の長いフレージングとか、豊かで透明度の高いサウンドとか、多彩で鋭敏なリズムの扱いとか、木管を朗々と歌わせる作法とか、多くの点で楽曲の持ち味とシンクロしているように聴こえる。

もともとオーケストラ・ドライブについては卓越した力量の持ち主なので、作品イメージと演奏者の持ち味がシンクロすれば強力。ことに第3楽章以降は圧倒的な出来栄えと思う。



こういうキャラの強いタイプの演奏だと、はじめはそのキャラが耳についてしまうけれど、慣れてくるとこの指揮者の懐の大きさが聴こえてくる(オーマンディに限ったことではない)。
というか、オーマンディは音楽の形を歪めることなく、すべての音のニュアンスを鋭敏にとらえ、くもりなく雄弁に鳴らしている。的確で明解なリズムとかアーティキュレーションに徹した演奏だけど、音楽の息遣いまでがその中に織り込まれていて、弦や木管の歌がスーッと入ってくる。



個人的に圧巻なのは終楽章後半、第二主題の再現からクライマックスに至る展開。
オーマンディは優秀なオーケストラを、切れのある多彩なリズムのさばきで縦横無尽にドライブしている。ホール内に充満するような大きな音響だけど、まったく塊状には響かない。音の透明度を保ったまま白熱し、鋭敏でダイナミックなリズムのコントロールが多様なニュアンスと雄渾な躍動を生み出している。

これはもう解釈云々ではない。ごくごく真っ当な解釈に基づきながら、並外れた表現力と演奏技術で他を圧倒している。こんな芸当をできるコンビが、他にどれほどあるのだろうか。

シベリウス 交響曲第2番 ザンデルリンク / ベルリン交響楽団

  1. 2012/06/09(土) 06:00:00|
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1975年のセッション録音。全集から。



本場物の演奏の後に聴くと、かなり独特。躍動しないリズム、流れないフレーズ、輪郭が強くて渋いサウンド、かっちりとした造形。ドイツ系の指揮者にも色々あるから、十把一絡げ風に言うのははばかられるけれど、やっぱりドイツ的な性格を意識させられる。

でも、繰り返して聴くうちに、納得させられてしまう。
ドイツ風の装いの内側あるのは、楽曲の構成や書法を画然と克明に描き出す、いってみれば知的なアプローチ。楽曲の成り立ちを明解に聴かせてくれる。
ディテールを聴かせる演奏は他にもあるけれど、音の輪郭やリズムの刻みをここまで画然と聴かせる解釈は希少なのではないだろうか。おかげで音響効果的な旨味は乏しくなっているけれど。

しかし、シベリウスの音楽をドイツ風の作法でさばいてみました、というだけの演奏ではない。わたしは、この演奏からザンデルリンクの楽曲に対する共感を感じる。理詰めでガチガチに固めながら、理屈で割り切れない領域では抒情が色濃い。特に木管群の素朴な歌いっぷりは、どこか野暮ったいけれど染みてくる。
終楽章後半、主題が繰り返されながら息長く高まっていく場面は、リズムを沸き立たせて興奮を煽るのではなく、祈る思いがひたむきに高まっていくかのよう。効果的なのかはわからないけれど、内省的な高まりは独特で、じんわりと効いてくる。



克明な表現を聴く限り、ザンデルリンクのオーケストラ・ドライブ力は高いように思えるけれど、音響の洗練を感じさせる域には達していない。というか、ぶっちゃけサウンドは美しくない(よく言えば渋い)。オーケストラの持ち味とか録音の影響はありそう。ただ、機会は多くないけれど、この指揮者の他の複数の演奏にも同じことを感じたから、ザンデルリンクに帰することかもしれない。

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