モーツァルト レクイエム  アーノンクール / ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス他 (2003)

  1. 2012/07/29(日) 12:30:59|
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2003年のライブ録音。ピリオド楽器・奏法による演奏。

この指揮者独特の演奏様式を聴くことができる。瞬間瞬間のインパクトを引き出そうとする表現意欲が強烈で、つながりはスムーズに聴こえるものの、場面の連なりの中で生み出される息の長い抑揚みたいなものを感得しにくい。押しの強い表現の連続はたいそう聴き応えがあるけれど、それらの相乗効果としての大曲を堪能したという後味は乏しい。

濃くてコントラストの強い表情を表出しながら、曲調を思い切りよく切り替えていく。表現の質としてもサウンドの面でも、透明感とか平明さは感じられない。曲調が穏やかになる場面であっても、濃い表情でグイグイと訴えかけてくる。演奏者の意志がみなぎっていて、雄弁。

アクの強い演奏には違いないし、この作品の一面をクローズアップしたような、言い換えると偏りのある再現と思う。
聴き手の気を引くための小手先のケレンとは感じられないけれど、単純に楽曲への思い入れの強さとも片付けられない。表現者としての自意識の強さからくる強烈さだろうか。あるいは、すみずみまで生気を漲らせずにはいられない本能or衝動なのだろうか。

これだけ思い切りよく演奏しても、音楽の濁りや澱みはさして気にならない。アーノンクールの統率力の賜物だろうし、オリジナル楽器・奏法のメリットを強く感じる。

モーツァルト レクイエム リリング / シュトゥットガルト・バッハ・コレギウム他 (1978)

  1. 2012/07/27(金) 09:17:39|
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1978年のセッション録音。鮮明で情報量は多いけれど、ホール内に一体となって響くような感覚は乏しいかも。

現代の楽器・奏法によりながらも(といっても40年以上前の・・・)、ゴージャスかつ壮大な音響で聴き手を魅了&圧倒しようとするのではなく、作品の書法に生真面目に向き合っている。音の線のひとつひとつを浮き上がらせつつ、ただ見通しがいいと言うにとどまらないで、念入りにニュアンスが込められている。

もちろん合唱が音響効果的に混然と響くことはなく、むしろ彫りの深い親密なアンサンブルで音楽を牽引していく。現代的なアプローチによる演奏としては抜群の細やかさと密度を聴かせる。

後年のリリングはオリジナル楽器の流儀を取り入れているようだけど、この演奏は現代の楽器の表現力を活かして、柔軟かつゆとりある表情を作り出している。



彫琢の練度は屈指のレベルにあるし、起伏や抑揚は十分にあるけれど、総体としては自然体風。指揮者は丁寧に編み上げることに専念し、音楽自体の訴える力に任せる感じ。良くも悪くも気負いのようなものは感じられず、煽ったり何かを強調することもない。
また、音の出し方は柔らかくて軽いから、耳当たりはマイルド。色彩感は豊かだけど、素朴で穏やかな風合い。

非日常的な感覚を呼び覚まされるような強い表情はないけれど、音楽に気持ちよく浸ることができる。というか、作品の描き方の当否は別にして、よく練られた当たりの良い音楽は、それだけで相応に心地よい。



オリジナル楽器・奏法による録音が蔓延る中で、立ち位置が微妙なアプローチのように思える。なまじ楽曲のオリジナルの姿を模索する生真面目さをにおわせるから、今となってはかえって中途半端さが目についてしまうかも。しかし、20世紀の感性による再創造として聴くと、こういう落とし所もありだろう。
いずれにしても、流行り廃りに紛れてしまわないだけの、実質(吟味され、練られた表現と、質の高い演奏)はあると思う。

モーツァルト レクイエム ワルター / ニューヨーク・フィルハーモニック他

  1. 2012/07/22(日) 06:00:00|
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1956年のセッション録音。わたしが聴いたのは擬似ステレオっぽいモノラル録音。乾いた響きの鮮明な音質。



ワルターをそんなに聴いていないから思い込みの可能性大だけど、ニューヨーク・フィルを指揮するときは、派手で押し出しの良い演奏(あくまでもワルターにしては、ということだけど)をしがちという印象がある。
スター指揮者だったのだから、オーケストラの持ち味や聴衆の嗜好に合わせて使い分ける器の大きさは当然のことと思う。

激烈にドラマティック志向。特に激しい場面では、合唱は哮るようにうねり、管弦楽も威嚇的。もちろん攻める一方ではなくて、緩やかな場面では濃やかに聴かせるけれど、端々に気迫を感じさせるし、基調は劇的。

常軌を逸しているくらいにハイテンションな演奏で、荒々しさや濁りはあるけれど、足取りは地に足のついている風に安定している。激情に任せてやっている様子ではない。
また、録音が古いこともあって、見通しの良いサウンドとは言い難いのだけど、カオス的音響に堕さず、造形には締まりがある。音塊の量感で圧倒するのではなく、響きの調合をコントロールしつつ、各パートが輪郭を保ちながらドスをきかせる。
そんなこんなで、気分の盛り上がりで猛り狂っているというより、勘どころを押さえながら、狙ってオーケストラと合唱団に限界を踏み越えさせているように思える。こういう激烈さも巨匠の芸の一環だったとしたら、そうとうに器用な指揮者だったのではないか。



のるかそるかの思いきった演奏なので、受け止め方は聴き手によって分かれるのではないだろうか。
この尖った激しさは、第3曲ディエス・イレや第5曲レックス・トレメンデにはふさわしいかもしれない。しかし、曲によっては聴き手を圧倒すること自体が演奏の目的になっているようにも聴こえる。
だとしても、そういうことを承知の上で、獰猛なワルターを堪能する聴き方はありだろう。

J.S.バッハ ゴールドベルク変奏曲 グレン・グールド (1981)

  1. 2012/07/17(火) 16:21:23|
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1981年のセッション録音。2つあるセッション録音のうちの後の方。ピアノによる演奏。



表現力が乏しく(特に音の強弱)響きの痩せているチェンバロという楽器を豊かに鳴らすべく、バッハは密度濃く音符を配している。これをピアノで弾くとたいていは響きが過剰になってしまう。

しかし、グールドの弾くピアノは、音が締まっていて粒立ちがやけに良くて、響きのダブつきを意識させない。むしろ、グールドはピアノの性能を、バッハの書法を浮き彫りにする方向に駆使している。立体的に響かせて、音符一つ一つのニュアンスをクリアに表現している。
チェンバロとは似ても似つかないけれど、ピアノ臭さ(甘くて厚くて豊かな響き、みたいな)を必要以上に意識させないところは、個人的にはいい感じ。



インスピレーションが溢れ出てくるように変幻自在。チェンバロではありえない、音の強弱をダイナミックに鳴らし分ける表現だけど、特定の変奏が悪目立ちすることはなく、また各変奏のつながりはナチュラルで、全曲としてのバランスが保たれている。大きな括りとしては、この曲にふさわしい味わいと思う。

音楽の表情は多彩に変化するけれど、雰囲気に流れることはなく、音符たちを活き活きと脈動させることで形作っていく。多彩な音の連携に胸が躍る。演奏が進むにつれて、グールドの演奏意欲と表現力と技巧に圧倒されるような心持ちになってくる。

作曲家の指定と異なる楽器による、楽譜に指示された反復を実施しない演奏という時点で、作品を味わうことには値しない録音だけど、一音一音を突き詰めるように演奏されると、なにかしら楽曲のポテンシャルの発現を覚えずにはいられなくなる。
この演奏を聴きながら、グールドの表現力だけでなく、バッハの書法のすばらしさや発想の豊かさを改めて実感した。

J.S.バッハ ゴールドベルク変奏曲 グレン・グールド (1955)

  1. 2012/07/17(火) 12:09:57|
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1955年のセッション録音。2つあるセッション録音のうちの古い方。鮮明なモノラル録音。ピアノによる演奏。



バッハの作品には演奏楽器が判然としないものもあるようだけど、ゴールドベルク変奏曲に関しては、チェンバロ(ハープシコード、クラヴサン)のための音楽であることが明示されている。
ピアノはチェンバロと同じ鍵盤楽器だけど、内部構造には開きがあるし、何より聴いた印象は隔たりが大きい。

また、作曲者の反復の指示通りに演奏すると演奏時間は軽く1時間を超えてしまう。ここでは反復が実施されていない。演奏時間は40分弱。

おそらく、反復を励行しているチェンバロ演奏を聴くにはある程度覚悟が必要になる。本来は、そこそこ敷居の高い作品なのだと思う。
この作品の溢れ出てくるようなイマジネーションの豊かさを手軽に(?)楽しみたい、という願いに応えてくれるのがこの録音。



チェンバロは響きの豊かさの面でも、表現力の面でもピアノよりはるかに劣後する。バッハはそんなチェンバロの表現力の限界を乗り越えんと技巧を駆使している(ように聴こえる)。そんな音楽をピアノで演奏すると、音が過剰になる。
過剰さへの対処法として、大雑把に言って、透明かつ軽い響きで弾くか、音の粒立ちを磨き上げるか、の2方向が考えられる(わたしが勝手に考えているだけなのだけど)。実際の演奏を聴くと、二者択一という単純なものではないけれど。
この演奏は後者の典型のように聴こえる。というか、これだけ思い切りよく弾いて、それでも響きのだぶつきをまったく感じさせない。

ここでのグールドは、第25変奏を除いて畳み掛けるようなテンポと力強さで弾いている。活発な変奏では俊敏で鋭い打鍵がスリリング。
テクニックが切れているだけでなく、急速な中で音のコントラストがくっきりと表現されていて、痛快なくらいに小気味よい。上に書いた音の過剰さを、演奏の面白さとして活かしきっている感じ。これは演奏者の音楽性の高さなのだろう。



めくるめくようであり、かつ刺激的。一方、スケールの大きな構成美みたいなものは見えてこない。強烈な打鍵とは裏腹に変奏の一つ一つから受ける手応えも軽い。悪くとればノリで演奏しちゃっている感がある。深いところから迸しり出るようなノリではあるけれど。
グールドのパフォーマンスの強さには圧倒されるけれど、楽曲を好き放題にデフォルメした演奏と思う。

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