モーツァルト レクイエム  ガーディナー / イングリッシュ・バロック・ソロイスツ他

  1. 2012/08/24(金) 06:00:00|
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1986年のセッション録音。ピリオド楽器・奏法による演奏。
他に、モーツァルトの没後200年にあたる1991年に撮られたライブ映像を鑑賞したことがある。演奏の中身は別にして、録音質に限ると1986年録音の方が勝る。

ガーディナーを聴き始めた頃、それなりに考察を重ねた上で演奏に臨んでいるようだし(音盤の解説あたりからの印象に過ぎないけれど)、とても明解&端整な演奏様式だから、楽曲の率直な姿を聴かせてくれる指揮者という第一印象を抱いてしまった。かなり前のことだけど。
しかし、いくつか演奏を聴いてみると、どれもガーディナー臭が強い。楽曲の持ち味よりガーディナーその人の存在を意識させられる。どうやら、突き詰められた明解さ、平明さは手段ではなく、それこそがガーディナーのケレンなのだ。指揮者としての美意識なのだ。
このレクイエムの演奏は、その典型のひとつだろう。

ガーディナーは、パート間の主従関係を明確に鳴らす。従たるパートはごくごく控えめに修飾的に扱われる。おかげで音楽の流れもサウンドもすっきりと明瞭。
そして、そうしたことを完璧と思える精度の高さでやっている。「◯◯が上手い」「××はもうひとつ」とか、個別論を持ち出す気持ちになれないくらいに一体として高品質。

透けるような響きのせいか、立体感とか奥行きを感じ取りにくい。いや、音響のせいばかりではない。対位法的な場面では、複数の線をある程度拮抗させることで立体感が生まれると思うのだけど、上のとおりガーディナーは主従をはっきりさせてスムーズに流すことを優先するから、なんだか平たく聴こえてしまう。意地の悪い言い方をすると、対位法が単に賑やかしの技法に止まっている感じ。

まあしかし、それもこれもガーディナー流ということで、技量より作品観とか様式観に関わるところ。解釈は徹底されていて、演奏の品質は申し分ないから、あとは好みだろう。

モーツァルト 交響曲第38番「プラハ」 アバド / モーツァルト管弦楽団

  1. 2012/08/14(火) 15:01:50|
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2006年のライブ録音。

アバドが創設したピリオド楽器のオーケストラ、モーツァルト管弦楽団とのライブ録音ということで、アバドがどんなモーツァルトを聴かせるかという興味は当然だけど、既存のオリジナル楽器によるモーツァルト演奏を判断する尺度としても興味深い。何しろベルリン・フィルの芸術監督にまで上りつめた巨匠が同じ土俵に乗ってくるのだから。


ピリオド楽器は音色の豊かさが乏しく減衰が速い。表現力の幅の面では不利だけど、響きがダブつきにくいぶん肌理のはっきりとした演奏が可能になる。ピリオド楽器のオーケストラ演奏では、大なり小なりそういうことが意識されていると思う。
しかしここでのアバドは、楽器にふさわしい奏法をとっているらしいのだけど、音楽の肌理を聴かせるより、厚みのある音響とブレンド感の高いアンサンブルを狙っているようだ。
おかげで、ピリオド楽器のオーケストラ演奏としては豊かな響きを獲得できていると思う。ことさらにピリオド楽器らしさをアピールしようとせず、自然体で自分の音楽をやっているということなのかもしれない。

が、既知のピリオド楽器演奏のいくつかと比較すると、ある種の鈍さを感じなくもない。
厚い低音や個々のパートの輪郭の甘さゆえに、彫り浅く感じられるし、音楽の肌理をくすませているようにも聴こえる。やや息苦しい。

基本的には熱気あるいい演奏と思うけど、うまい折衷なのか中途半端さなのか判然としない面がある。ということは、アバドの試みに対してもうひとつ清新さを感じられていないのだろう(わたしが)。

J.S.バッハ ゴールドベルク変奏曲 ジョリー・ヴィニクール

  1. 2012/08/13(月) 16:11:11|
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2001年のセッション録音。

ヴィニクールは初めて聴く演奏者。1963年生まれの米国出身。1963年生まれというと、同年代(60年代前半生まれ)のチェンバロ奏者はアレッサンドリーニとかルセとかアンタイとか強者がそろっている。

作品の華やかな書法を描ききろうとするアプローチだけど、楽曲の実態を超えてアピールしてくるようなケレン味は感じられない。そのせいか華やかさには節度があって、インパクトは穏やか。

楽器の調整具合を含めて、繊細感のある音の出し方。軽快に音をはずませつつ、音が重なり合わないように細やかに揺らしたりずらしたりしながら、一音一音を軽やかにきらめかせていく。ていねいかつ精妙に音をコントロールしながら、音が自在に舞っているように聴かせる。賑やかな変奏であっても、ことさらに意識を集中させなくても、バッハの華麗な書法がくっきりと伝わってくる。

ディテールへのこだわりもあってか演奏時間は85分を超えるけれど、リズムは活き活きとしているし、表現にキレがあるので、必要以上に長さを意識させられることはない。

繊細志向だけに力強さはほどほどだけど、密度の濃い作品の書法を開放的に響かせるだけの懐の大きさは感じられる。
耳をすますうちに、ミニチュアの室内オーケストラでも聴いているような豊かさが広がってくる。楽曲の多様さ、多彩さを実感することができる。
これはなかなか優れものの演奏だ、わたしにとって。

グレツキ 交響曲第3番「悲歌のシンフォニー」 ジンマン / ロンドン・シンフォニエッタ他

  1. 2012/08/05(日) 06:00:00|
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1991年のセッション録音。



この作品の知名度がどの程度なのか分からないので、念のために作品自体の印象をざっくりと書いてみる。

20世紀ポーランドの作曲家グレツキ(1933.12.6 − 2010.11.12)の代表作の一つ。初演は1977年。
まさにこの録音の大ヒットにより、グレツキの名前が世界的なものとなったらしい。

3楽章構成で演奏時間は50分を少しばかり超える。3つの楽章ともLento(緩やかに、ゆっくり)の指定。
情緒感たっぷりの簡潔で親しみやすい主題のいくつかが、これといって発展させられることもなく連綿と進行する。特に、全体の半分を占める第一楽章は、聴いていて時間の感覚を失いそうになる。
現代音楽家が研究と実験を繰り返した挙句に、グルッと一周して中世の聖歌にもどったわけではないのだろうけれど、手練手管を打ち捨てて、心から表現したいことだけを形にしたらこうなりました、みたいな印象。

各楽章ともソプラノの独唱が嘆き悲しむ歌詞を歌う。第2楽章の歌詞がゲシュタポ収容所の壁に書かれた言葉に拠っているなど、シリアスな情感を満面に湛えている。これを簡潔ながら深く美しいオーケストラ・サウンドが包み込む。陰鬱なテーマを扱いながらも、聴き手を現世から引きはがそうとでもするように、そのサウンドはしばしば夢幻的な響きを帯びる。
ちょっと中毒性があるかも。聴かせる戦略としてはずいぶんシンプルで、こんなので50分以上をもたせられるのかと不安を覚えるけれど、何なく聴き通せてしまう。



上に書いたとおり、この録音は英国で(クラシック音楽としては)大ベストセラーになったらしい。
どちらかというと、作品の悲嘆的な側面より、音響効果の心地よさに軸足を置いた感じの演奏。アップショウの艶やかな美声とか、ムードたっぷりのオーケストラ・サウンドによる快感の方が、シリアスな手応えを上回って聴こえる。
が、あくまでも程度の問題であって、作品像を歪めて伝えるようなことはないだろう。甘口に味付けされている、というくらいのこと。洗練されていて、うまくて、作品を親しみやすく聴かせてくれる。


(作曲者と指揮者)

J.S.バッハ ゴールドベルク変奏曲 スコット・ロス (1985)

  1. 2012/08/02(木) 22:26:59|
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1985年のライブ録音。放送用の音源。会場の空間が感じられる。場外の騒音がときどき混入する。
ちなみに、ロスは1988年(早すぎる死の前年)にこの曲をセッション録音している。



反復の指示を遵守しているけれど、速めのテンポで70分弱の演奏時間。
チェンバロの薄い音響による演奏だけど、聴き進むにつれて音楽がこちらに迫ってくるような心持ちになる(わたしの場合)。畳み掛けるような進行の中に、楽曲の桁外れの多彩さ、多様性がグッと凝縮されて迫ってくる感じ。単位時間当たりの密度が高くて、その集中と完成度は終始緩まない。

ただし、圧迫感のようなものはない。チェンバロという楽器の華奢な響きのせいもあるだろうし、勢いにのっているようでもロスは響きを完全にコントロールしていて、音楽の見通しは常にクリアだし、トゲトゲしい刺激音や和声の濁りなどは聴こえてこない。



ロスの解釈は、聴く限りごく真っ当に感じられる。目につく特徴は、弾むようなリズム、使用楽器のシャープできらびやかな響き、きびきびとした足取りと抜群の切れ味、というところだろうか。やっていることのひとつひとつが徹底されているから、演奏の個性はハッキリしているけれど、格別にかわったことはやっていないと思う。

畳み掛けるようなテンポで一貫しているけれど、明晰で切れのある表現によって、音のひとつひとつが活き活きと鳴らされるのみならず、バッハが狙ったであろう重層的な音の効果までがリアルに伝わってくるし、変奏毎の空気感の変化(ときに力強く、ときに格調高く、ときに静けさを、ときに・・・)も手際よく表現されている。この楽曲のエッセンスはもれなくすくい上げられている、と思う。

それでいて、活き活きとしてためらいを感じさせない演奏ぶりは、まるでロス自身の音楽を演奏しているかのような閾に達している、と思う。