ベートーヴェン 交響曲第5番『運命』 ラインスドルフ / ボストン交響楽団

  1. 2013/01/31(木) 06:00:00|
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1967〜8年のセッション録音。低音の厚みが強調されているような気がしないでもないけれど、広がりと量感があり、かつ見通しの良い優れた音質と思う。



大ぶりで骨太な作品像は、わたしの中の1960年代の独墺系ベートーヴェンのイメーイジそのまま。
その意味で、楽曲のとらえ方は(当時としては)いたって常識的に感じられるけれど、そういうベートーヴェンを統制された機能美みなぎるアンサンブルで演奏している。

重心が低くて手応えのあるサウンドに、腰の座った足取りだけど、各パートの動きは機能的で明解でしなやか。アンサンブルの精度はとても高くて、厚い響きなのに均質化されて濁らない。



ラインスドルフの生み出す音楽は、その当時有力だった流儀に則って手堅く抜かりなく抑揚を聴かせるけれど、総じて生真面目で辛口で毅然としている。
たとえば第3楽章から第4楽章への接続にしても、緊迫感を煽る気配はない。第一楽章からの一貫した緊張感と重厚な響きのままで押し進めていく。
どのくらい面白味を感じられるかは聴き手によると思うけれど、演奏としての充実度はかなりのものと思う。

ただし、良くも悪くも隅々まで統制・管理されたマスゲーム的表現であって、それぞれのパートが活き活きと色づいて歌い弾む、というような風情は感じられない。
おまけに色彩感も乏しいから、表情豊かとか多彩というような形容はむつかしいかも。

ベートーヴェン 交響曲第9番『合唱』 モントゥー / ロンドン交響楽団

  1. 2013/01/25(金) 13:40:34|
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1962年のセッション録音。ウェストミンスター・レーベルによる音源を、デッカ・レーベルが交響曲全集に組み込んだもの。
空間は広々として聴こえるけれど、楽音のフォーカスは緩い印象の録音。



分厚いというのではないけれどボリューム感はそうとうにあって、音楽の枠組みは大柄。
一方、音の出し方は軽くて機敏。表現の一つ一つにパンチ力は無い変わりに、細やかでニュアンス豊か。色彩感はそれ程でもないか・・・
威大さで聴き手を圧倒するより、スケール豊かに音のパノラマを展開するような感じ。この交響曲の祭典的な性格の表し方として、一つの方向性を示していると思う。



ふくよかな図体と軽妙な表現の組み合わせゆえに、表情の彫りは浅め。録音の影響もあると思う。
そこに、枯れた味わいが加わる。アンサンブルの動きは軽やかだけど、演奏の展開は淡々としている。

表情に乏しいということではないけれど、表情の変わり目でのメリハリの弱さを第一、二、四楽章でときおり意識させられる。
こういうアプローチだと、もう少し活気が欲しいかも。

盛り上がる場面では、音楽が大柄なので相応の手応えはあるけれど、頂点に上り詰めていく緊迫感みたいなものはほとんど感じられない(良し悪しはともかくとして)。



第三楽章は掛け値なしで堪能できる、と思う。上に列記した彼のアプローチの特徴が全面的にいい方向に作用していると思う。この楽章の特質を天国的な明朗さと捉えるならば、モントゥーの表現は本質を突いていると感じられる。豊かで、しなやかで、格調高い。これで、録音がクリアだったら・・・

モーツァルト レクイエム  コープマン / アムステルダム・バロック管弦楽団他

  1. 2013/01/11(金) 06:00:00|
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1989年のライブ録音。



響きの薄いピリオド楽器の特性を良い方向に活かして、わかりやすく親しみやすい音楽をやっている。

歯切れが良くて活気がある。この小気味よさは、ダブつかないサウンドがあってこそ、と感じられる。

ピリオド楽器・奏法による演奏らしいてきぱきとした進行だけど、ディテールが勢いに流れる感覚は無い。
線的な流れの一つ一つがクリアで、色彩感に富んでいて、きらめくよう。ピリオド楽器の演奏団体の中で、この艶っぽい色彩感は出色と感じる。

演奏はうまくて、演奏にも歌唱にもコンセプトが徹底されていて、ライブらしい流れの良さも感じられる。



もしかしたら好みが分かれそうなのは、鎮魂ミサ曲であることの趣旨を良い意味でも悪い意味でも感じさせないところ。
どこか華やかで屈託を感じさせない。たとえば第3曲の『怒りの日』では金管や打楽器を小気味の良く弾ませて、畏怖というより爽快さを覚える。

狙ってこういうレクイエム像を提示しているのではなくて、そもそもコープマンの意識は、レクイエムのあり方を追求するより、目の前にある音楽を色づかせ活気づかせることに専ら向かっているように感じられる。



学究的な小理屈抜きで、純粋に楽しみとして鑑賞できる水準のピリオド楽器・奏法によるモーツァルトと思う。その意味では好ましいけれど、楽曲その物を堪能する目的で聴く演奏ではないかも、個人的には。


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ベートーヴェン 交響曲第9番『合唱』 クレンペラー / フィルハーモニア管弦楽団 (1960 ライブ)

  1. 2013/01/03(木) 06:00:00|
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1960年のライブ録音。モノラル。高低の伸びは物足りないけれど、聴こえる帯域に関しては良好。響きがうねる感じはかろうじて伝わってくるし、内声部の表情づけなどまで聴き取ることができる。



ピリオド楽器・奏法による復元が進む今日では、旧時代の作品像と言えそう。とは言いながら、彼も人の子だから時代の影響を免れないだろうけれど、楽曲の成り立ち・仕組みをそのまま音として聴かせようとする彼のアプローチは、時代の流行り廃りの影響を受けにくいような気がする。

モティーフが組み合わされ、高層に組み上がっていくメカニズムにこそこの交響曲の醍醐味があると見なすならば、クレンペラーのアプローチは作品の本質を端的に突いている、と思う。
一方、全人的なテーマ性とか、音のイリュージョンをこの交響曲に求めるなら、クレンペラーの演奏にそういう要素がないとは言わないけれど、特に彼の演奏を選ぶ必要はないと思う。

楽曲のメカニズムを聴かせるのはクレンペラーだけではない。
ただ、この指揮者は、名曲のメカニズムの見事さに自ら感銘し、何よりもそのことの素晴らしさを聴く者に伝えたい、という情熱を持っているような気がする。このあたりは、作曲家であろうとしたこの指揮者のこだわりかもしれない。
いずれにしても、彼の演奏において、楽曲のメカニズムの表出が最優先事項であるように感じられる。
そして、それゆえに、大ぶりな音響にもかかわらず、ソリッドな音楽と感じられる。

録音の制約があるので断言できないけれど、この演奏もそういう種類のアプローチと思われる。
そして、これまた録音の制約があるので断言できないけれど、充実度の高さと感興の点で、特に聴き映えのする演奏だと思う。



第一楽章から終楽章まで、指揮者もオーケストラも一貫して気合が乗っていて、しかし気負いは感じられない(終楽章の独唱陣には気負った感じがあるけれど)。

秩序を厳格に構築しながら、大きな情熱とエネルギーを放射している。品格ある静と威風堂々とした動が同時並行で成り立っていて、この充実した手応えは、他では得がたいものと思う。

イマジネーションを掻き立てるタイプの解釈ではなく、音楽を有機的に増殖させ展開させて行き、その活気とか、変化の妙味とか、運動性とか、秩序や調和の佇まいとかで聴く者を牽引していく。



そして、ウィーンの聴衆を意識してのことなのか、弦楽器をいつもより歌わせるなど、彼としては濃い目の味付けを施しているところが、数あるクレンペラーの第九の中での、この録音のおもしろさ。

第三楽章を流れるように速いテンポで進めるのはいつものことだけど、弦の歌が濃い目で、ちょっとした違いなのだろうけれど、少し印象が違って聴こえる。良し悪しとは別の次元で。

終楽章のエンディングでは、怒涛の高まりの中で、ヴァイオリンが突き抜けるように大見得を切る。大見得といっても、秩序を乱さない範囲で、いつもより強めにやっている程度のことだけど、この演奏にかける意気込みがビンビンと伝わってくる。

マーラー 『大地の歌』 ホーレンシュタイン / BBCノーザン交響楽団

  1. 2013/01/01(火) 06:00:00|
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1972年のライブ録音。BBC LEGENDSによるステレオの正規盤。この年代の正規盤にしては鮮明な音質ではないかも。が、鑑賞に障るほどではない。



ゆとりのある安定したテンポ。足取りは淡々としていて、聴き手を煽る風はないけけれど、音の流れや変化が克明に、粘っこく、陰影たっぷりに描き出される。

表情の一つ一つは耽るように濃いけれど、指揮者自身が陶酔し没入している感じではない。サウンドは常にコントロールされているし、ノリに任せることもない。陶酔的な、浸り耽るような音楽を、知的な統制と強い集中でもって織り上げていく感じ。

響きは明解。良好とは言いにくい録音にも関わらず、各パートの動きや複数パートのコンビネーションは手に取るよう。サウンドは濃厚どころかクリアな感触だけど、それぞれのパートが粘っこく歌い上げながら絡み合っていき、濃い表情とか空気感を生み出している。

恣意的な感情移入というより、マーラーが音の一つ一つに託したであろうニュアンスを、のめり込むようにして掘り起こしていく感じがする。芝居っ気や演出めいた感触はない。

圧巻は第6楽章で、聴き進むうちに、溢れ出してくる想念とか妄念に押し包まれるような心持になり、茫然としてしまった。ヘヴィだ。



オーケストラが上手ければ上手いほど効果が上がりそうな解釈。もっと機動力があって、艶やかな響きを持つオーケストラとの協演であれば・・・と思わなくはないけれど、ホーレンシュタインがやろうとしていることは、音として確実に伝わってくる。

独唱の二人は、格別印象的ということではないけれど、ホーレンシュタインの意図を汲んだ歌唱と感じる。特に第6楽章のアルトはオーケストラと調和して、ホーレンシュタイン・ワールドの醸成に貢献している、と感じた。