ベートーヴェン 交響曲第6番『田園』 マゼール / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

  1. 2012/02/09(木) 21:20:00|
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1959年のセッション録音。情報量はそれなりに多く、遠近感・広がりともに確保されている。ただし、会場の残響が深いために、ほどよく再生するのは難しい。ハマるとリアルな再生音を楽しめるけど、ハズすと塗り壁みたいに響いてしまいそう。



1930年生まれのこの指揮者の30歳前後の録音。
前年に録音された『運命』を聴きながら、『田園』の方にさらなる適性を予感し聴いてみたが、これは素晴らしい出来栄えではないだろうか。『運命』でも感じられた、楽曲の魅力やおもしろさを楽しむようなノリが作品のキャラに合っていると思う。

この若さにして指揮者の器用さや発想の豊かさは十分以上に伝わってくるけれど、それらは楽曲の魅力を引き出すことにまっすぐ向かっているように聴こえる。指揮者の若さがもっぱら良い方向に働いている感じで、気持ちよく仕上がっている。

個人的に第二楽章での遠近感の演出は忘れがたい。また、ベルリン・フィルから軽やかで柔らかみのある響きを引き出していて、なんとも心地よい。
第四楽章の嵐の迫力も必要にして十分。
全曲をとおして、自然賛歌っぽい素朴さとは異なるカラフルで洗練されたタッチだけど、ベルリン・フィルの渋めのサウンドがほどよく中和しているのか、良い具合のフレッシュさに色づいて聴こえる。

ベートーヴェン 交響曲第6番ヘ長調 「田園」 シューリヒト / パリ音楽院O

  1. 2011/01/10(月) 02:02:43|
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1957年スタジオ録音。

きびきびとした足取りの、率直で素朴な演奏。ケレンや大見得はなく、概ね語り口(活き活きと音符を鳴らすこと)と気迫で音楽を進めていく。職業的なエンターティナーなのに、こんなにも素朴でいいのだろうか、と余計な心配をしてしまうくらいだが、聴いていて退屈することはない。音楽はすみずみまで活気があって鮮やかに展開していく。この手腕は何なのだろうか。

こういうタイプの演奏は、当初は「これはこれでいいものだけど、もっと面白い演奏がありそう・・・」と思ってしまうけれど、複数の他の演奏をめぐった後で、結局戻ってしまう。

たいてい、演奏者の個性は、チャームポイントをもたらすことと引き換えに音楽を偏向させる。偏向すると、楽曲の持ち味のあるものがないがしろにされてしまう。それはうれしくない。かといって、無個性な演奏に退屈することも嫌。
そんなわたしにとって、シューリヒトのような指揮者、楽曲の持ち味と自身の個性を共存させられる演奏家の存在は福音。

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第一楽章にのんびりとした気分は皆無で、きびきびと進行する。ただ、不思議と駆け足な感覚はない。それは密度濃いアンサンブルの賜物。弦群が突出せず、すべてのパートが活き活きと雄弁に歌っているから、音楽の表情は多彩で生命感にあふれている。
ただし、主題の歌わせ方に癖があって(極端なレガート)、アクセントとして意図的にやっているのだろうけれど、これは好きじゃない。

第二楽章も、演奏時間からすると速いテンポといえそうだが、歌い切っている。てきぱきとして率直な語り口なので、イメージが膨らむような心地はしないが、アンサンブルは多彩だし、音楽の変化に対して明敏に対処してくれるので、気持ちよく浸ることができる。

第三楽章はスピーディーで元気いっぱい。見通しがよく色とりどりなサウンドなので、圧迫感はない。

第四楽章は、物理的なパワー(重く激しい音響)で押して来る表現ではない。あくまでもアンサンブルの表現力で勝負。スリリングで気持ちよくノレる。「今回の嵐は、意外と足早に通り過ぎてくれたな・・・」という後味はあるけれど。

個人的には、第五楽章がこの交響曲の勝負どころ。大指揮者、名指揮者と呼ばれる人たちの演奏であれば、好みを別にすると第四楽章まではそれなりに納得できることが多い。しかし、第五楽章は簡単ではない。
この楽章では、メロディーの魅力に酔いたいし、活き活きとしたリズムや表情の変化を楽しみたい。でも、ベートーヴェンだからそれだけでは物足りなくて、心が解き放たれるようなカタルシスや、肯定的な活力だって不可欠と思う。
すべての欲求を満たしてくれる演奏には出会い難いと感じているが、シューリヒトの第五楽章はいい感じだ。感覚的な心地よさより活気とか力強さが優位だけど、目配りは行き届いている。
魅惑的な歌を期待してしまうと物足りないかもしれないけれど、第5交響曲や第7交響曲の終楽章とは一味違う、ベートーヴェンらしい力強く肯定的な終楽章という見方をすると、とても充実した演奏と思う。

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演奏に粗さがあったりテンポ感が合わなかったりで、手放しで絶賛とはならないけれど、他の演奏と比較してみると、わたしにとってこれを超える演奏はそんなに多くはなさそう。

ベートーヴェン 交響曲第6番ヘ長調 「田園」 ワルター / コロンビア響

  1. 2010/12/31(金) 02:53:51|
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1958年のステレオ録音。

高音パート主体のすっきりとした音響、鮮明なアンサンブル、ニュアンス豊かなこと。この演奏に限った特徴ではないけれど、情報量の多いステレオ録音のおかげでいっそう鮮やかに感じられる。

同時代の指揮者たちと比較すると、音響面では軽量級。しかし、オリジナル楽器演奏を知る世代の聞き手なら、そのことが即不満につながることはない、と思う。

第1楽章、第2楽章では、繊細・美麗を極めた名人芸を堪能できる。機能的な意味での緻密さとは一線を画している。1音1音のニュアンスとか、それらの重なり方とか、すみずみまでワルターの審美眼を通して磨かれている。そして、現実の音とすべくコントロールされている。
こだわりつくしているけれど、マニアックな偏向は見当たらず、自然で伸びやかに聴こえる。

これは田園交響曲の1つの完成形だ、と感服しながら聴いた。第4楽章に入るまでは・・・

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全曲を通して、ワルターの意識はキレイで端整なサウンドとアンサンブルに向かっていて、彼のもくろみは比類のないレベルで実現されていると思う。
そのアプローチは前半では吉と出ているが、第4楽章・第5楽章では事情が変わってくる。

厚みとスケールはそりなりにはある。しかし、端整な美しさを保つための軽いリズムや芯のないフレージングが、この2つの楽章に不可欠な覇気とか素朴な生命感を損なっているように聞こえる。

第4楽章は「雷雨と嵐」であって「火山大噴火」とかではないから、爆発的な盛り上がりはなくともいい。でも、これは安全運転に過ぎないだろうか。この程度の嵐なら、過ぎ去った後に晴れやかな喜びはわいてきそうにない。

そういう意味で、はじけない第5楽章は一貫性があると言えるのか?
その歌心と、キレイで端整なサウンド&アンサンブルは、至芸と呼びたくなるほどに洗練されている。しかし、端麗さへの志向が勝っていて、聴くうちに思わず体がリズムを刻んでしまうような生命感は乏しい。
勝手な思い入れといわれたらそれまでだけど、そういう種類の活き活きとした感覚は、この楽章にぜひとも欲しい。

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注文をつけさせてもらったけれど、これはワルターの匠の芸を伝えてくれるすばらしい記録と思う。これほどに洗練された音楽は滅多に聴けるものではない、と思う。
ただ、この交響曲のすべてを盛り込むには、ワルターの様式美の器は少し小さかったのかもしれない。曲が凄いんだけどね。