ベートーヴェン 交響曲第9番『合唱』 セル / ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

  1. 2011/06/13(月) 23:56:00|
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1968年のライブ録音。モノラルなのは残念だけど、音質はかなり明瞭。

セルに限らず、優れた指揮者というのは、ひとつの作品をいろんな風に高い水準で演奏できるものだと思う。それぞれの指揮者は個性的な演奏スタイルを持っているけれど、あんな風にしか演奏できないということではなくて、そのように演奏することを選択した結果なのだろう。

セルの場合スタジオ録音の精緻で静的な佇まいが強烈に印象的だし、あれらの中に彼のエッセンスが詰まっているのは間違いないだろう。だからといって、コンサートで常にあのように演奏していたわけではないし、オーケストラが変わればやり方はさらに異なった。

クリーヴランド管弦楽団は、精緻で透明に質感を保ったまま、激しさ、やわらかさを自在に表現できる特別製のオーケストラ。だからクリーヴランド管弦楽団との演奏で、セルはその能力を存分に使いこなす。
しかし他のオーケストラは同じようにできないから、クリーヴランド管弦楽団のときのようにアプローチしてしまうと、劣化コピーに堕してしまう。

一方、いうまでもなくそれぞれのオーケストラにはクリーヴランド管弦楽団とは異なる魅力や強みが備わっている。どんな指揮者にも譲れないポイントはあるだろうけれど、それが許す範囲でオーケストラの持ち味を引き出した方が良い結果につながるだろう。まあセルは譲れないポイントが他の指揮者より多そうだけど・・・

というわけで、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団との第九。

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第一楽章からすさまじい気迫で迫ってくる。のけぞりそう。
端正で見通しの良いアンサンブルを基調としつつ、その秩序の中で最大限にダイナミックなコントラストをつけて、鬼気迫る迫力をもたらしているのが、この演奏のすごいところ。

第二楽章も方向性は同じ。これだけの激しさなので精緻という感じはしないけれど、緊密なアンサンブルがベースになっている。しかし、ここでの強烈なティンパニはいささかヒステリックに聴こえる。やり過ぎではないか。

第三楽章は、この演奏のアプローチからすると見せ場を作りにくいかも。うまく演奏しても地味な印象に止まりそう。というか、実際そうなっていると思う。
中庸と感じられるテンポで、粘らず引きずらず端正に歌わせている。
スムーズなメロディの歌わせ方や室内楽的な音のバランスはセルならではの魅力。彼の目立たない側面だけど、清潔でニュアンスに富んだ歌わせ方は魅力的だと思う。

第四楽章は壮絶を極める。特に歌唱陣が加わってからが迫力満点。独唱・合唱はしょっぱなからオーケストラに勝るとも劣らないテンション。中でもテノールはノリノリ。
クリーヴランド管弦楽団ほどでなくとも、オーケストラのサウンドは透明度を保っているので、押し寄せるような厚みはないけれど、気迫と強烈なアクセントは圧倒的。というか、サウンドが分厚くないから、強烈なアクセントが威力を発揮している。
圧巻なのが終結部。もともとこの部分はサウンドのボリュームが薄くなる。盛り上げるなら強弱・緩急のダイナミックな変化とスリリングな合奏で追い込むしかない。ちょっとした乱れはあるけれど、ここまで胸のすくような終結部を聴いた記憶が無い。

セルの劇的表現力には目をみはる。ドラマティックな表現力を売り物にしていた指揮者ではないと思うのだけど、その気になればこんな風に聴く者を圧倒できてしまうのだ。

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当時のニュー・フィルハーモニア管弦楽団はクレンペラーの時代。セルとクレンペラーでは音楽の質はかけ離れているけれど、作品へのアプローチの面では共通項があると感じる。

セルがそれを意識したかはわからないけれど、オーケストラのポテンシャルを引き出せていると思う。まあオーケストラとしては、これだけの演奏において最後までアンサンブルが崩壊していないだけで、大健闘。底力を聴かせてくれる。

モーツァルト 交響曲第41番『ジュピター』 クリップス / コンセルトヘボウ管弦楽団

  1. 2011/06/08(水) 01:25:00|
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1972年のスタジオ録音。
ヨーゼフ・クリップスは1902年生まれで、1974年に亡くなった。最晩年にモーツァルトの交響曲をまとめて録音したが、これはその1つ。

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クリップスの個性ははっきりとしている。ゆったりとしたテンポながら、リズムの刻みやフレージングはしなやかで軽快。サウンドはやわらかく弾み、そして広がる。おっとりとして、耳に優しい。そういう方向で、徹底的に練磨されている。

その個性はいささか借り物臭い。20世紀の初頭にウィーンで生まれ育った音楽家として、伝統に培われた「趣味」をクリップスなりのやり方で純粋培養したかのような持ち味。オリジナリティーはちょっと低いかも。
とはいえ、ありきたりなモーツァルトではないと思うし、洗練度は相当に高い。

わたしが聴いたのはフィリップス盤だけど、オーケストラのサウンドとフィリップス・サウンドが、クリップスの持ち味をこの上なく引き立てている。

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クリップスのテイストは、しつこくはないけど濃厚。『ジュピター』交響曲を自分の色に染め上げている。
演奏者の個性が濃厚だと、ときに楽曲の色合いの変化がそれに塗りつぶされて、単調になってしまう。クリップスの持ち味は、その危険性を感じさせるタイプのもの。
この演奏はボーダーライン上にあるかもしれない。

第一楽章はゆったりとした進行ながら、足取りはかろやかで、歯切れが良いのでまったくもたれない。あかるく楽天的な気分は楽曲に合っている。立体感とか雄渾さは乏しいけれど、活き活きとしている。

第二、第三楽章は優雅で豊かな流れが心地よい。ほれぼれとするような美演。音楽の心地よい流れに身を委ねるのが吉。

第四楽章は、言葉にすると第一楽章と同じノリ。ハジけないし、スリリングでもないけれど、各パートのしなやかで小気味の良い動きは心地よい。
この演奏に壮大趣味は微塵もないし、音のドラマとしては穏やか。しかし、こじんまりとはしていない。ゆったりと伸びやかな歌いっぷりとか、活き活きとして開放的な気分とか、多彩なアンサンブルとかがあいまって、スケール感とは違う種類の広がりを生み出している。

聴いている最中に「この感じのままだと、物足りなさが残るかも」との思いが頭をかすめたが、最後に残ったのは充足感だった。